料理人のための「新・こつの科学」

川崎 寛也氏
博士(農学)・味の素株式会社イノベーション研究所

現代の料理人に求められる「新・こつの科学」を考える。調理技術がどのような成分を作り出すかだけではなく、それがどう感じられるか、どのような価値を作り出すかを考察し、さらには新たな料理や調理技術のアイデアを提案することとする。

1.『吸い口』の新・こつの科学
日本料理の椀物の要素は、椀種、吸い地、青み、そして吸い口である。吸い口には、季節によって、山椒の葉である木の芽、柚子の皮をへいだものなど、和のハーブと呼ばれるものが使われる。そこに何か共通性はあるだろうか、と考えるのが科学的な考えの最初である。山椒の葉の特徴的な香気成分はサンショオール、柚子の皮の香気成分はユズノンやシトラールなどという化学物質であるが、これらは、水には溶けない脂溶性であり、山椒や柚子の細胞の中に油に溶けて入っている。水に溶けないからこそ、ほぼ水である一番だしに浮かせ、細胞を壊すと、揮発しやすくなり、温かいだしの上昇気流にのってどんどん揮発する。それが、我々の鼻の奥にある嗅覚受容体にくっついて、脳に香り情報が伝わるのである。また、脂ののった魚のアラで作った脂が浮いているような潮汁では、脂に香り成分が溶け込むことも考えられる。魚の臭みは、魚の脂が酸化した成分の匂いなので、先に山椒や柚子で魚をマリネするなどして、魚の脂に吸い口の香りを溶かし込めば、一体感が感じられるような椀物ができるかもしれない。吸い口の考え方は、脂溶性の香り成分を水分と接触させることで揮発を促すという原理を理解すれば、どんな料理にも応用できる。フランス料理やイタリア料理ではどうだろうか?中国料理では?技術はジャンルを超える。本質的に技術を理解することで、安易なフュージョン料理ではなく、食文化の発展に貢献できるほどの技術革新が生まれると信じている。

2.『火入れ』の新・こつの科学
火入れとは、食材の温度を上げること、に尽きる。確かに、スチームコンヴェクションオーブン(スチコン)を使えば、肉のたんぱく質の変性を均一にコントロールできる。しかし、火入れの目的はそれだけだろうか。オーブンしかない時代、ロゼの状態に仕上げるために色々な技術が存在した。焼く前に室温に戻す(戻す?牛が屠殺される前からまな板に乗るまでに室温の時があったのだろうか?常温に戻す、とは、『室温で肉を加熱している』に過ぎない)、表面をセジールした後、ルポゼしたり、210度のオーブンで焼いたり、中心温度を確かめるために金串を指して下唇に当てる、等々。しかし、ロゼの状態を、たんぱく質の変性が始まり離水し始める前の温度まで上がった状態、とすると、58度に制御されたスチコンに入れれば、それ以上に上がることは絶対にないので、肉の内部全体を均一にロゼにでき、最後に表面だけ香ばしく焼くこともできる。つまり、フランス料理人が求めていたロゼの状態を均一に再現できるのである。ところで、それは「フランス料理として美味しい」のだろうか?技術が理想を超えてしまっていないか?好みもあるだろうが、肉のおいしさは、香ばしすぎるくらい焼けた表面の香りとガリガリした食感、表面で濃縮された肉汁のうま味と噛んだ時に出てくる肉汁の濃厚なうま味、そのヘテロな状態が美味しいのではないか。となると、表面から中心に至る温度のグラデーションをいかにデザインし、実現するかが問題になる。フランスでもここ数年はスチコンを使っても、温度のグラデーションを実現する動きになっているとのことである(神戸北野ホテル 山口シェフ)。デザインを厳密に実現化する調理器具としてスチコンの使い方が進化していると言える。

表面の焼きについては、ハンバーグでは肉汁を閉じ込める役割があるとの報告があるが、塊肉の場合は、メイラード反応による風味である。もし肉汁を閉じ込めているのであれば、焼いている時に水分が蒸発するジュージュー音はしないだろう。メイラード反応は何度で起こすかによって風味は大きく異なる。また、メイラード反応は、ブドウ糖や果糖(砂糖ではなく)とアミノ酸の加熱反応なので、表面にブドウ糖を含むワインやミリンを塗ると温度が低くても香ばしくなる。表面から中心にかけての温度のグラデーションは、オーブンの温度と加熱時間によってコントロールするが、温度は初期温度とオーブンの温度の差が大きいかどうかで温度のグラデーションが変わる(室温による加熱はここに効いてくるのだが)。温度はその差が大きいほど早く伝わるので、「室温で加熱」せずとも、冷蔵庫から出してすぐに、45度程度で加熱すれば、たんぱく質の変性が起こる前の温度まで早く温度が上がり、温度のグラデーションをコントロールしやすいだろう。

重要なことは、事前に、「表面の香ばしい香りと食感を感じさせた後、濃厚な肉汁の味と風味を肉を噛んだ瞬間から感じさせる」などという「フレーバーデザイン」を考えておくことである。それを実現するために、表面から何ミリまでたんぱく質をしっかり変性させて筋線維感を出し、その下はあえて離水させて肉汁を表面に浮いて来させてメイラード反応に参加させ、その下は、離水させる前の温度まで上げる、という調理技術を使う、というように、まずフレーバーやテクスチャーのデザインがあり、調理技術はそれを実現するために選択していく、という考え方が「新・こつの科学」ではないだろうか。

[掲載日:2019年1月8日]