世襲

髙橋 拓児氏
「木乃婦」三代目主人

ある番組を見た瞬間、世襲の難しさを肌で感じた。私も世襲を余儀なくされている一人なので、そもそも世襲にはどんな目的と意味があるのか少し考えてみたくなり、つらつらと書いてみることにする。

実際に京都と言わず、全国には老舗が沢山ある。食関連であれば、旅館、料理屋、食堂、和菓子屋、酒蔵、、、さまざまの業種が存在する。そこで、皆が口にするのは後継者問題である。男の子が生まれれば一旦は一安心、女の子であれば自ずとお婿さんをもらうのが不可欠になってくるので、決まるまでは店の将来の見通しは不明瞭である。但し、男の子が成長しても、商売に向くかどうかはこれまたやってみないと分からないし、それに私も含めて、進んで店の跡を継ぎたい人などまずいない。ただその環境に育ち、仕事を傍らで見ているため、物心ついてからその商売をする人たちよりもアドバンテージがあることは確かである。しかし、その優位性など本人のやる気のある無しですぐにひっくり返ってしまうのが商売の難しいところである。

例えば、京都の料理屋は規模が中途半端に大きく、30~50名を収容できる料理屋が未だに数多く存在する。これを経営していくためには料理人であり、経営者であり、広報担当者でなければならない。それぞれのスキルを身に付けるまでを日数で変換すると、料理人15年・経営者10年・広報担当者5年で30年位はかかると思われる。料理屋の息子は大体、大学を卒業する22歳からのスタートなので、52歳にようやく安定期に入るといった具合である。つまり、それまで未完成なままで経営を継続する必要がある。そこで家内制手工業セットとして両親がもれなくついてくる。子供の足りない分を両親が補うのである。「いつまで経っても仕事しんならん。」と息子は常に両親から愚痴を聞く。息子が52歳のころには両親は80歳手前位で、上手くいけばやっと仕事から離れられる。料理屋に関わらず、老舗はこの循環を永遠に続けることになるが、ある意味これは好循環として捉えられているように思う。実際、商売が上手くいっていても親子の関係が上手くいかなければこの循環はいつしか破綻する。

私も高校生の息子がいるが、世襲という考えに最近ようやく慣れてきた。今まで社会に対して貢献したいとか、料理人の好奇心の追求とか、日本の食文化創造とか様々な挑戦をしてきた。それらは私にとってかけがえのない時間であったし、今もそれらが私の生きる原動力である。それでもやっぱり息子が跡を継いでくれることが一番嬉しいのだなと、はたと気付いた。実体として存在しない所謂、「おじいちゃんはこうやった、お父さんはこうやった。」、こんな話の中で料理を楽しんでいけるのが幸せに感じる。店の歴史とはその店に関わってきた人達の温かみを回顧し、家族の安心と繁栄を望み、祈念する心の集合体のような気がした。世襲を重荷に感じるのではなく、有難いと思えるようになりたいと今は考えている。

[掲載日:2019年11月1日]