まだみぬ美味しさをもつ牛肉を求めて

山本 謙治氏
農畜産物流通コンサルタント、農と食のジャーナリスト

私はもともと野菜や果物といった農産物の卸売流通に関わる仕事をしていたのだが、ここ10年ほどはお肉、それも牛肉の仕事がメインとなってしまった。そのきっかけとなったのは2007年、岩手県で短角牛という肉牛を偶然の出会いで“所有”してしまったことだ。

短角牛の正式名称は日本短角種といい、黒毛和種や褐毛和種、無角和種とならぶ和牛の一種である。東北から北海道が主産地であるため、関西での取り扱いは少ない。また、霜降り度合いの高い肉になる黒毛和牛とは違い、赤身中心の肉質となるため、格付上の評価が低くなってしまう。そのため、赤身肉であることをわかって使ってくれる相手との契約取引でしか流通しない。黒毛和牛が全盛の関西ではあまり食べる機会がなかった牛かもしれない(最近では京都のきたやま南山など、レギュラーで食べられる店も増えている)。そんな短角牛の母牛を、ひょんなことから農家さんに預ける「預託」という形で所有することになったのだ。

牛は一年に一産してくれ、妊娠してから人間とほぼ同じ期間で子牛を産む。子牛が子牛と呼ばれるのは8~10ヶ月ほどで、その後は肥育農家が購入して、肉牛に育て上げる。わたしは母牛から生まれた子牛の所有者でもあるので、友人の肥育農家にお願いして、自分の子牛の餌や育て方にも口を出し、いわばフルオーダーで肉牛を育ててもらう。

大事なのは、「牛」が「肉」となるところまで付き合うことだ。牛が生まれてから30ヶ月程度になり800kgを超える体重になると出荷してお肉にする。骨や内臓を抜いて350kg程度の正味肉がとれるので、それを料理人や一般の方々に買っていただく。ステーキにしやすいロースやイチボなどは人気で高く売れるが、硬い首の肉や腿の外側などは売りにくい。信頼できる業者にお願いしてドライエイジングをかけて美味しくするなどの工夫をしてなんとか売り切る。仲のいいレストランで「食べる会」を開催して、端肉まで使いきる。

そうやって肉をすべて売り切ればそれなりの金額になるものの、母牛と子牛の餌と世話代、と畜の経費などを差し引くと、手元に残るのは頑張って40万円程度。住んでいる東京から岩手県に何度も足を運ぶ経費や、販売にかかる手間と時間を考慮すると、正直言って赤字である。でも、こう言ってはなんだが、牛を一度所有すると「これはもう辞められない」という思いがある。「牛肉を食べる側」から「牛を持つ側」にまわってみると、まったく違う風景がみえてくるのだ。

たとえば生産者の側からすれば、育てるのに3年程度かかるので、途中で病気にかかる可能性が低く、餌を肉や脂にかえる効率の高い牛が望ましい。そして、牛一頭を運搬したりと畜したりする経費は固定でかかるので、肉がたくさんとれる、大きな牛になるのがありがたい。格付が価格を左右するのだから、A5になる可能性の高い牛がよい。ところが、これら全てをかなえようとすると、かならずしも「美味しい」といわれる牛にならない可能性が高くなる。

いっぽう、料理人や精肉店は「とにかく美味しい肉がいい」「もう霜降りはほどほどでいい」「もっと長く飼って味をよくして欲しい」「イチボとクラシタしか要らないよ」「けれども、買いやすい価格でないと買えないな」といった要望をぶつけてくる。まるきり、生産者の希望と合わないのである。

この橋渡しをしなければならないと考え、料理人を産地に連れていき、牛が放牧されている牧野や肥育牛舎で牛と触れあってもらい、餌や育て方を確認し、最後に肉を食べ比べてもらうというツアーを企画するようになった。参加した料理人は、「いままで産地によって味がバラつくと思っていたけど、餌が違うからなのか!」というように、理解を深めてくれ、仕入方法も使い方も産地を思いやった方向に変えてくれる傾向がある。

現在、仕事で岩手県の短角牛と、高知県の褐毛和種の一系統である土佐あかうしの販売促進を請け負っている。また、北海道には広大な土地を利用して、オーガニック基準に則して牛を育てようとしている協議会があり、所属する生産者の牛の肉を売る手伝いもしている。そしていまは、これら全ての産地に自分の牛を所有している(売る牛が増えてかなり大変だ)。どれも、日本の牛肉の中では実にマイナーな位置づけのものばかりなのだが、これが最高に面白い。ほぼ完成されてしまった黒毛和牛の世界よりも、餌や育て方による変化の幅が大きいからだ。

そして「お肉のことってほとんど理解されてないんだな」と思うようになった。料理人や流通業者と話していると「●●を食べさせた牛は美味しいからな」とか「この血統の牛をこう育てるとまずい」というような話しを聞くことがあるが、生産側にコミットするようになってからは「おいおい、そんなおまじないみたいなこと、ホントに信じてるのかよ」と思ってしまうことも多い。以前は牛肉流通の中で、料理人にあまり知識をもってもらっては困るという業者の人もいたのだろう、必ずしも正しい知識が料理人に伝達されていない気がする。そうしたことは、科学的な観点からも是正されていくべきだと思う。

日本人が大手をふって牛肉を食べるようになった明治期から、たかだか150年くらいしか建っていない。「和牛」と呼ばれる牛が成立してからもまだ70年余りだ。その短い歴史の中で、さまざまな飼い方や新しい餌などが試行されてきてはいるけれども、まだまだ試されていないことが多い。フランスやイタリアなど、牛肉文化の長い国を回ると、飼い方も餌もまったく違っており、文化の違いに唖然とする。一方で「これ、自分の牛で実験してみよう」と思う新しい可能性にも気づく。

いま、日本の和牛を世界に輸出して高く売ろう!というような趣旨でさまざまな試みがなされている。よいことだと思うし進めて欲しいところだが、そこで採り上げられているのは日本で主流の黒毛和牛の霜降り肉の世界である。でも、僕はそちらにはほとんど興味がなくて、「日本人がまだみぬ美味しさをもつ牛肉」を探究する方がだんぜん楽しい。きっと、そう考える料理人さんも多いのではないだろうか。ぜひそんな考えを持つ関西の料理人さんや料理関係者さんを、産地にお連れしたいものだ。

[掲載日:2020年4月2日]

短角牛の放牧風景
私が所有した最初の母牛「ひつじぐも」と第一子「さち」。
短角牛「さち」のリブロース断面。A2という等級だが、美味しそうでしょう。
「さち」のサーロインをステーキに。とてつもなく美味しかった。
短角牛の牧野を訪れる「てのしま」林亮平氏と「TheBurn」米澤文雄氏
産地によって味わいの違う短角牛の肉。食べ比べなければわからないことがある。