おじさんの匂いは良い香り?

ある著名な寿司屋のご主人から「握りすしには古米を使う」と聞いて驚いた。古米を握ると新米のような粘りやベタつきがなく、はらはらと米が離れる点が良いという。また、古米には新米にはない味の深みがあるという。
古米といっても米櫃で古くなった米ではなくて、玄米の状態で新米を長期間低温保蔵するそうだ。手間がかかっており、熟成米と言ってもいい。江戸前寿司の古老もネットで同様の発言をされている。はらはらと口で離れるのは寿司職人の高度な技だと思っていたが、米も熟成されているとは知らなかった。古米が粘らないのは、米の貯蔵中に油が分解して脂肪酸が生じ、これが炊いた時のでんぷんの糊化を抑えるためらしい。新米では脂肪酸が少ないので糊化が進んでくっついてしまう。
もう一方の、古米は味に深みがあるという点には思い当たる節がある。これにも油が関わっている。一般に、油は酸化が進むと不快な匂いがする。おじさんの加齢臭などもこれである。しかし、軽い酸化はむしろ油の好ましい風味と厚みを増し、味わいを深める作用がある。油の美味しさのほとんどは油の酸化によって生じた成分の匂いの記憶であることも実験で明らかにされている。
例えば、ホテトチップスのおいしさには高温の油で揚げた際に生じる酸化臭が必要である。オリーブ油の味わいも然り。新鮮なオリーブ油を実験室で完全に精製したものを口にしたことがあるが、純粋すぎるオリーブ油は無味無臭の素っ気もないものになってしまう。市販のオリーブ油は流通中に熟成が生じ、私たちの口の入る頃には軽い酸化臭が付いている。
微量の酸化臭が油らしさを感じさせ、美味しさを深めている。この香気の一部はおじさんの加齢臭と共通する成分である。油を含む料理や食品には、軽い酸化臭が食品の魅力になっているのである。
世のおじさんたちは、体臭が若い人らに嫌がられていると自信喪失気味だが、不快に至る直前の油の酸化臭こそが味わいに深みを醸し出す良い匂いなのである。おじさんたちは深みのある香気をさらりと漂わせてもいいのではないだろうか。
[掲載日:2021年3月8日]