アジフライを食べるなら、京都へ。

山脇 りこ氏
料理家

その日届いたという太った立派な鯵を見せてくれながら「洋食おがた」のオーナーシェフ緒方博行は目を細める。
「最高の鯵です。春から初夏にかけて、駿河湾では桜エビを食べた鯵があがるそうなんですよ。実際、お腹の中に桜エビがいることもあって、身は全体にうっすらピンクになっている。そんな鯵は甘みもあるんです。」
身体は食べたもので出来ている。魚も、鯵も同じだろう。桜エビを食べていたなんて、なんという贅沢者!この鯵を、フライでいただく。細かめのパン粉で衣だけはさくっと、しかし、身はふわっとしていて、中心部分はレア。噛むとはずむ弾力がある。噛みしめると味わいはさらに深まる。なにより食べるのが惜しいほどに美しい。
“こんなアジフライ、見たことも食べたこともない”同席した人たちは異口同音に言う。いま、日本で食べておくべき珠玉の“アジフライ”が京都にある、って、事件でしょう?

「洋食おがた」は、京都の御所南、烏丸御池のほど近くにある洋食店だ。ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、メンチカツ、カレー、ビーフシチュー、そんな定番メニューが並ぶ。
さてそこに、“アジフライ”である。始まりは2019年のことだった。緒方は言う「洋食と言えばハンバーグやビーフシチューといった肉がメインですが、おいしい魚も出せたら喜ばれるんじゃないかと思ったんです。」確かに、白身やサーモン、アジのフライがある洋食屋は珍しくない。そこで緒方は、静岡・焼津の「サスエ前田魚店」を訪ねる。
え?静岡?YES焼津だ。日本中から、いや、世界から“魚を入れてほしい”というオファーが絶えない、前田尚毅を訪ねたのだ。
前田は、焼津と言えば名があがる「サスエ前田魚店」の五代目。私は前田の仕立てた魚に出会い心酔し、ある雑誌で、従来の仲卸の枠を超えた「つなぐ人」として書かせてもらった。ただの魚屋でも仲卸でもない稀有な人だ。
「まずは鮮度が命。とはいえ海が相手だから、鮮度で勝負できないときもある。その時は劣らない仕立てを考えます。」と言う。魚を釣り上げ、岸に運ぶまでに何をすべきか、漁師と一緒に考え抜き、氷の詰め方、形にまでこだわる。曰く「魚が針をくわえた瞬間から料理が始まっている」からだ。
緒方は前田のことを、関西の食の重鎮、門上武司から聞いた。「やるからには最高の魚で」と、前田を訪ねたのだ。緒方は前田に会い、しびれました、と言う。「百尾の中から、最高の1尾を見つけてくれる人」と。こうして、冒頭の垂涎モノのアジフライが生まれた。
実は、私に緒方のアジフライを勧めてくれたのは前田だった。焼津に取材に行ったとき、静岡の天ぷらの名店、「成生」の鯵の天ぷらの話になった。「成生」に江戸前の天ぷらではまず使われない鯵をすすめたのは前田だ。数年後、鯵の天ぷらは“静岡の「成生」”を象徴するスペシャリテになった。
前田が「鰺ね、天ぷらは成生、フライはおがた、ですよ。」と。え?おがた?どこ?と聞く私に「京都の洋食屋さん。ほんとにすごいよ」と。すぐに京都へ向かった。
それにしても、前田の鯵で洋食おがたのアジフライができたら、最強じゃないか?と、ふたりをつないだ門上はすごい。そして、人気実力とも十分に高いオーナーシェフでありながら聞く耳を持ち、柔軟に、素直に焼津へ行った緒方もすごい。

今や20席ほどの席をめがけて、大阪や名古屋、東京からも問い合わせがあり、予約がままならない。アジフライを食べに京都へ、だ。
さらに驚いた。緒方は次に、自身のスペシャリテであるハンバーグの見直しに取りかかったのだ。独立を後押ししたという人気メニューにも容赦なし。まるで緒方だけに見えているハードルがあって、それを越える“勇気”が試されているかのように。
ふと、私は今、京都で人気の洋食店が、県境も厭わず人が集まる唯一無二の洋食店になるところを見ているんだと思った。頭一つ、すいっーと抜きんでるレアな瞬間を。
「遠くても、大変でも、あの店のあれを食べたい!」と熱望される店は、すべからく、この、蝶への脱皮のようなプロセスを経ているのかもしれない。それを“変化”を味わいながら見ているなんて、と感動し震えた。
 それで、ハンバーグはどうなったのか?
「京都に、アジフライとハンバーグを食べに行こうよ!」とだけお伝えして、ハンバーグをめぐるドラマは、またいつかどこかで書きたいと思う。ああ、京都へ。アジフライとハンバーグに胸が躍る。
(失礼ながら、尊敬する皆様の敬称を略させていただきました。お許しください。)

[掲載日:2021年6月1日]