この地でこの名を残す

谷口 英司氏
株式会社 Dotok(ドトック) 代表取締役

現代フランス料理の礎を築いた偉大な料理人のひとり、フェルナン・ポワン(1897〜1955)はこういう言葉を残しています。「若者よ故郷に帰れ」と。続くのは「その町の市場へ行き、町の人たちのために料理しなさい」です。ポワンの言う「帰れ」とは、何かしたいと思う場があればそこへ帰って行きなさいと言われているように思えて。私には、故郷となるその場が富山でした。

私は大阪や神戸など都会の店で修業してきましたので、富山に来たときにはその地方感に圧倒されました。魚介や野菜には見たこともない品種がいっぱいあるし、野山ではジビエになる野生動物がいろいろ生きている。食材だけでなく、地方色というのはその地域でしか味わえない食や受け継がれている物事など広く食文化の現れであるのがよくわかります。地産地消とはどういうことなのか改めて実感できました。日本には富山に限らず、各地にこういう地方的なる資産が残されているのだと再認識させられましたが、私は初めて知った地方である富山をもっとよく知りたいと思い、県内のあちこちを巡り歩きました。

こちらから訪ねていくことで、素敵な出会いが数多く生まれました。食の生産者さんをはじめ器をつくる工芸作家、道具や衣類をつくる職人さんなど様々な人と知り合いながら、人とのつながりは広がってゆきました。今は、こうした地元に根差したつながりが私の支えになってくれています。

私が地方の富山でレストランを開こうと決めたのは、知り得た地元の材を使いこなせば、ここでしか表現できない料理ができると考えたからです。それも、ご当地グルメみたいな単なる地方料理には見られたくなかった。同じフランス料理ベースであれば、どこの店で食しても同じ味わいになるのではなく、富山にしかない食材をとことん生かして固有なものにしてゆく。それがたとえアヴァンギャルドに感じられたとしても構わない。さらに料理のみならず、器や調度品などを含めて食事そのもので地方を味わえれば、他にはない価値観を感じてもらえるはずです。

そうしてお客さんに心ゆくまで過ごしてもらおうとすれば、それはもうレストランではなくオーベルジュになるでしょう。そうなれば農園も併せてつくりたい。県内を歩き回っていましたから、目星はついていました。その土地は山奥の過疎地にありましたが、不便に感じられる立地・環境は地方のオーベルジュを維持してゆくには最大の武器になると思われました。この際、つながりも組織的なより強いものにしたいと考え、株式会社を設立。この夢の実現に必要な予算は約6億円になりましたが、金策では会社を農業法人にしたり有効な制度を利用するなどして全額融資を受けることができました。そして1年かけて私が理想とする新しい「L'évo(レヴォ)」を完成させたのです。

2020年12月にオープンさせ、ちょうど1年が経ちました。四季も経験して、できることできないこともわかりました。スタッフといっしょに移住してきましたが、みなこの地での生活に慣れ、いわゆるワーケーションしています。これから私が目指すのは、富山のこの地に建つオーベルジュ「L'évo(レヴォ)」の価値を揺るぎないものにしてゆくことです。日本には、フレンチやイタリアンの西欧料理の店で日本料理店のように何代も続く歴史をもつ店はありません。例えば、フェルナン・ポワンが創業したレストラン「ラ・ピラミッド」は、オーナーシェフのポワンが亡くなった後も存続されています。私は「L'évo(レヴォ)」をそういう店に育ててゆきたいと願います。富山のこの地でこの名「L'évo(レヴォ)」を残すために、これからすべきことに全力を注いでいきたいと考えています。

谷口 英司(たにぐち えいじ)プロフィール

1976年大阪府生まれ。父の和食店を手伝い小学生で料理に魅せられ、高校を卒業して料理人の道へ。神戸のホテルでフランス料理を学び国内各地やフランスで修業。出店事業を任せられ多様な業態店の経営も経験するなど各所で実績を重ねて独立、2014年富山市内のホテルにレストラン「L'évo(レヴォ)」を開業。2019年に閉店し、農業法人「株式会社Dotok」を設立。富山県の過疎地利賀村へ拠点を移し、オーベルジュとなる「L’évo(レヴォ)」を新たに建設。2020年12月から営業を始めている。

[掲載日:2022年2月3日]