マニアックであることの強み

思えば、私はずっとチャレンジし続けです。原点は香川で食べた冷たいうどん、いわゆるぶっかけ。コシの強い讃岐うどんとイリコだしのつゆの組み合わせは衝撃でした。2000年当時、私はネットを通じてうどんマニアの仲間と情報交換をしていましたが、関西でぶっかけが食べられる店はほんの少数。それなら自分で作ってみようと思ったのです。それが最初のチャレンジで、独学でうどん作りを始め、2003年の自店「釜たけうどん」開業につながります。
私はもともと技術開発に興味があり、讃岐うどんをそのまま広めるのではなく、大阪らしいだしから取るつゆ、それにコシの強いうどん麺を融合させて大阪のうまいもん好きに受け入れられる新しいうどんを作りたかったのです。冷たいうどんといえば、ざるか冷やしうどんしかないので、ぶっかけの特徴としてトッピングを工夫しました。なかでも、半熟玉子と半割ちくわの天ぷらをのせた「ちく玉天ぶっかけ」は評判よく、本場の香川にもなかったことから店の定番メニューになると同時に私の作るうどんが大阪讃岐うどんとして広まるきっかけになったのです。
私のうどんの修業には師匠と呼べる人はいません。それだけ自由に作られたともいえますが、自分なりに習得した技ですから、うどん麺やつゆの作り方などを教えてほしいという人がいればシェアしてきました。半熟玉子のむき方も公開したり、「ちく玉天ぶっかけ」のメニューは他店でも自由に提供してもらいました。また、続いてヒットした「キムラ君」は、うどんにキムチとラー油を加えたメニューの総称としても親しまれるようになり、商標登録した後に版権フリーにしたところ、うどん店だけでなく居酒屋、焼肉店などさまざまな飲食店にまで広がり、ついにはコンビニ弁当やスナック菓子にもなりました。
大阪讃岐うどんが認められるようになってゆくなか、感慨深かったのは私が大阪讃岐うどんとともにチャレンジすることで他のうどんも少しずつ変わっていったことです。いまでは、だし、うどん麺、その両方でさまざまな試行が重ねられ、例えば大阪でもうどんの茹でたてを供したり、トルネードにして見た目も変えてみるなど細部にわたって進化をみせています。さらに、つゆの基になるだしの開発によっては酒とも合ううどんという可能性まで出てきています。
そうしたなか、「釜たけうどん」ではできなかったことにチャレンジしようと考え、いったん閉店し、2018年に新店「き田たけうどん」を開業させました。いまや讃岐うどんの店は数多くありますが、細い讃岐うどんはまだ少ない。そこに商機を見出し、今回も思い立って必要な機器を入れたり、作り方から供する方法までを検討し、細麺専門店となるように環境を整えました。生地を延ばす方法を工夫し、製麺にかける時間が短縮できたために回転率も上がりました。
新店開店後のコロナ禍では、その状況を乗り越えてゆくのがうどんマニアたる由縁。同じ麺仲間に店を活用してもらい、きしめんやラーメンを提供する期間限定イベントなどをおこないました。また、蕎麦についてもチャレンジ。私が長年あたためてきた十割蕎麦を作るのに、蕎麦粉を真空にした機械で練る方法とそれを冷凍保存できる方法を具体化させたのです。細いうどんが売り切れたら営業終了にはせず、いまのところ不定期ですが、蕎麦と日本酒も提供できるようにしたいです。うどんマニアとしてはこれからもうどんから蕎麦まで、麺マニアと感動を分かち合える麺を世に送り出し続けたいと考えています。
1956年兵庫県生まれ。讃岐うどんに刺激を受けうどんを独修し、2003年大阪難波で『釜たけうどん』を開業。ネットを活用したり、独創的なメニューを開発するなど、うどん好きの域を越えたマニアックな戦略で大阪讃岐うどんという新カテゴリーを普及させ、立志伝中の人となる。2018年、同じ難波で細麺専門の『き田たけうどん』を再興、現在はひとりの麺マニアとして合同会社を設立しうどんからそばまで飽くなき探求を続ける。
[掲載日:2022年12月8日]