守るべきものは守りつつ、レシピを進化させ続ける

大阪・淀屋橋のビジネスビルにあるレストラン『プレスキル』。レストラン離れが進む中、フランス料理を食べ慣れた人はもちろん、食べ慣れていない人からも支持されています。その理由を求め、これまでの料理人としての経緯や、今、大切に想っていることなどをシェフの佐々木康二さんにうかがいました。
師であるムッシュ・上柿元 勝さんから学んだこと
料理人を目指したのは小学生のとき。TV番組『料理天国』がきっかけでした。辻調理師専門学校を卒業後、地元・岡山のホテルに就職し、縁あってルクセンブルクへ。帰国後、たまたま神戸ポートピアホテル『アラン・シャペル』に欠員があり、お世話になることにしました。シェフは上柿元 勝さん。とにかく厳しかったし、忙しかったです。ここで、みっちりフランス料理を習いました。
その後、アラン・シャペルさんが亡くなって、上柿元さんについて長崎のハウステンボス『迎賓館』に行きました。そこには24歳から16年半も在籍。期間中は上柿元さんのフェアやイベント、TV収録などに数多く同行しました。素材の手配などの段取り、人やシーンに合わせた話し方など多くを学びました。何より肝が座りますよね。知らない人を使って知らない厨房で料理をする。妥協できない雰囲気づくりをして相手をうまく巻き込んでいく。特に大変だったと印象的なのは『ソース-フランス料理のソースのすべて―』(柴田書店)というレシピ本づくり。フランス料理の基本と教え込まれたソース、フォン、ジュを紹介したものです。例えば、フォンの出来上がりを10ℓ、ジュは1ℓ、ソースは300ccというオーダーがあって、それらを身につけてきたもので、素材を逆算して完成させるんですよ。合計で200種類以上やりました。

ホテルと街場の中間を目指す
いったんホテルを出ようと、2015年に淀屋橋に『プレスキル』を開店しました。まず大阪にはホテルと街場の中間っていう位置のレストランがなかったので、そこを目指そうとしました。堅苦しくなく、かといってカジュアルではなく、ある程度の広さがあって。料理もクラシックをベースにしたきちっとしたフランス料理で、なおかつそれをちょっと進化させたような。そうしたら、食べていただいた知人から「料理が美味しいとか来てもらわないとわからないし、シェフの料理がどれだけ凄いか理解できる人は少ない。そして真面目すぎて面白くない、普通!」と。ショックでしたね。と同時に、「なるほど」と。
ただ、ずっと上柿元さんに言われてきたソースとフォンとジュ、そして素材を大切にした味は絶対に崩さない。先の本でもそうですが、「ソースとフォンとジュを師匠と何十種類・何百種類とやってきて、ここは外してはいけない、そこを変えたらこれまでの自分をなくすことになる」と思いました。メニューとしては、『アラン・シャペル』やハウステンボスにいるときに何度も何度も作ったパイ包み焼きは外せない。アラカルトのスペシャリテとして、パイ料理「鴨とフォアグラのトゥルト ルアネーズソース」をオンリストしています。あとはリヨンで提供されている古典料理で、「鶏を丸ごと使ったトリュフをピケした若鶏のベッシー包み」は作り続けています。

右:「鶏を丸ごと使ったトリュフをピケした若鶏のベッシー包み」
進化し続けるレシピ
工夫するなかで、まず女性に知ってもらおうとランチを変更しました。女性の話題になるように、ビジュアル(視覚)ですよね。動画などを見て “女子力”を鍛えました。ポイントは季節と色。前菜に添えるチュイルを蝶々の形にしてビーツで赤くしたり、食用花を用いたり。前菜は嗅覚も大事で、柑橘の香りなどを重視すると反応がいいです。ワゴンで提供する小菓子は、大きなピラミッドを開けると鮮やかな花に囲まれた箱があって、さらにそれを開けるとお菓子が並ぶという2段階の仕掛け。SNSでもピラミッドが一人歩きするほど好評を得て、拡散していただいています。
ですがそういったことに気をつけると、バターたっぷり、クリームたっぷりが美味しいというお客さまは意外と多いです。実は昔と違うのは、そのもののボリューム。昔はアラカルトの魚は200g、コースでも80g、100gくらい。今は店のコースでも多くて50g。フランス料理が胃にもたれるという思い込みは、バターやクリームではなく、量が問題だったと。
そんな確信もあって守るべきものは守りつつ、レシピは変えていっていますね。出来上がりの味をみて、自分の年齢のせいか感覚のせいかはわかりませんが、おかしいなと思ったら、一から切り方を変えたりしてやってみます。よくクラシカルな料理ってオリジナリティがなくて、要はコピーって言われますが、そのまま出していることはない。もちろん元のレシピは置いています。元から削除するのではなくて、進化させる。昔は経験値と感覚でやってきたものが今、科学的に証明されてきているでしょう。自分の思い込みじゃなくて、いいものをチョイスできるようになってきていますよね。これは店のコンセプトでもある“不易流行”と通じています。いい言葉ですよね。

今、無理せず、意外と心地いい場所にいます。周りが求めてきていることに準じ、自分の立ち位置をみて、学ぼうとしている人に対応しようと。レシピは誰にでもオープンにしています。上柿元さんもそうでした。こういった料理は特に経験がいるでしょう。AIが出てきて、いくらレシピをプログラミングしても、感覚の部分はまだ実際に触ったりして養うもので、レシピはもちろん、そこの部分もちゃんと伝えていきたいですね。
1967年、岡山県生まれ。大阪あべの辻調理師専門学校卒業後、岡山のホテルを経てルクセンブルクへ。帰国後神戸ポートピアホテル『アラン・シャペル』で上柿元勝さんと出会い、その後ハウステンボス等で約20年間師事する。2008年、ボキューズ・ドール国際料理コンクール日本代表に選ばれ、第一回アジア大会で優勝。その後、神戸ポートピアホテル『トランテアン』の開業に努める。この間、パリのホテルクリヨンやオランダのインターコンチネンタルホテル、 リヨンの『アラン・シャペル』『ラ・メールブラジエ』などで働く・2015年、大阪・淀屋橋に『プレスキル』開業と共にシェフに就任。
[掲載日:2023年5月12日]