自分たちが行きたい店であり続ける

笹倉 大助さん・笹倉 瀬利奈さん
「シェ・シロ」オーナーシェフご夫妻

神戸・三宮で力強い郷土料理が味わえるフランス料理店『シェ・シロ』。
貫き続ける自分たちの店のスタイルや、自身で考える予約が絶えない理由、
後進への思いなどについて、
笹倉大助さん、瀬利奈さんご夫妻にうかがいました。

早すぎない決断が正解だった

兵庫・明石市の同じ産院で産まれ、2歳まで同じ団地で育ったという笹倉大助さんと瀬利奈さん。ともにフランス料理の道を志し、20代で、当時、フランスの雰囲気そのままに朝から晩まで熱気に溢れていた『オーバカナル』へ。オープン当時のシェフの三谷青吾さんに師事する。
「フランスへの憧れは学生時代からありました。次の『オーバカナル』のシェフ、現『ローブリュー』の櫻井信一郎さんからも“フランス人の生活と習慣を知らないままフランス料理をするなんて失礼。そういう人は美味しいフランス料理を作れるわけがない。フランスに行け”と言われました」。当時、ニアミスはあったものの互いに深く知ることもなく、それぞれに30代でフランスへ渡る。
「今思えば20代に行かなくてよかったと。天狗になって帰ってきているだけだと思います」と瀬利奈さん。それには大助さんも同意見で「30歳過ぎて、ある程度料理を分かった上で行ってよかったと思う。全く言葉は話せなかったけど、仕事を見てもらっていたらできるとわかったようで、“これ、任せよう、これ、任せよう”、と自然となっていきました。5軒、計4年ぐらい過ごしました」と話す。
櫻井さんが日本人で初めて働いたという、バスク地方のバルギュスにあるホテルレストラン『シェ・シロ』で同じ厨房に立ち、お互いの料理観が似ていることに気付く。その後、「いつか二人でやりたいね」というぼんやりとした思いを持って帰国。それぞれさらに腕に磨きをかけ、2015年、自分たちの店を40歳で神戸に開く。「修業はやりきった感があって自分の店を持とう、と。やっぱり私たちの基礎があるのは『オーバカナル』。三谷さんの料理で、そこはもう二人合致しているわけですよ。シェフは一つ星や二つ星にいたので小洒落た料理もできますけど、やりたいわけじゃなかったです」。
決して早くない40歳で店を持ったことも当然な流れだったと話す。「雇われている間にしっかり勉強して自分の料理感とか人生観を確立した上で店を出す、っていうのが私たちの時代でした。美味しいものが出せると料理に確信があってからの開店です」。

モツがぎっちり詰った、トロワ風アンドゥイエット。
野菜と生ハムを使ったスープ、ガルビュール。

ルールがあって成り立つ店と客との関係

料理人でありながらサービスを担当する瀬利奈さんは、初めての方も常連さんでも必ず同じように、メニューの書かれた黒板を手に、どう食べればいいのか、オーダーの仕方やメニューを丁寧に説明する。それには、店と客が“持ちつ持たれつ”の関係でいることが、自分たちの店のスタイルを維持し、心にゆとりを持って営業するために必要と実感しているからだ。「オープン時から、前菜1皿、メイン1皿のプリフィックスコース1本です。シェアできるアラカルトのお店ではありません。力強い郷土料理とワインを楽しんでいただくお店なので、ワインを飲んでほしい。そういった店のルールをわかったうえで、来ていただきたいです」と話す。開店当時は言いたいことが言えずに、自分たちの店なのに思い通りにできないことも。ちゃんと店側の思いを伝えるために、黒板のメニュー説明があるのだ。「作る側からしたら、“早くして”と思うこともあるよ」と大助さんは笑うが、店と客が互いを理解して会話し、尊重するからこそ、よい食事が楽しめる関係性が築ける。「最初はフランスの食堂みたいにしたかったので価格設定も下げていましたが、そうすると“予約の取れない店だから”といった理由で来るお客さんもいる。だから、価格帯を上げ、使いたい食材を使うようにしました」と大助さん。
少々強気な発言と思う方もいるかもしれないが、それは芯のあるメニューが提供できているからこそ。「自分が感動したものをやっているだけです。実はどの料理もただ見せてもらっただけでしっかり教えてもらったわけじゃないですよ」。黒板のメニューには前菜10種以上、メイン10種以上、骨太な郷土料理が並ぶ。「カスレやトリッパなどあえて7、8割を定番に。残り2割ぐらいは季節ものです」とのこと。例えば定番のアンドゥイエット。トロワ風で、中はミンチではなく、いくつかの豚モツを帯状に形作り、腸詰めしている。「ほぼ独学です。櫻井さんの本、『レストランのシャリュキュトリー』(柴田書店)を見たくらいで、現地でずっと食べていた味を自分で何度もやってみたら作れました。相当失敗しましたけど」と大助さん。瀬利奈さん担当の、野菜と生ハムを使ったガルビュールは「『ローブリュー』仕込みです。当時作っていたガルビュールとは何が違うかって言ったら、今のほうが人間的に穏やかになって優しいですよ」と。仕込みは互いに分担をし、朝から6時間かけて毎日の営業に備えている。

黒板に書かれたメニューを説明する、笹倉瀬利奈さん。
細やかに記された黒板のメニュー。

シンプルに自分の行きたい店でありたい

「好きな料理はやっぱり今やっているような料理。オープンして8年間、ブレずにやっていると言われますけど、好きだからやっているだけで。だから好きな人に来てもらいたいです」と大助さん。常連は70代など年配の方が主。「若い頃から神戸のフランス料理を食べ尽くし、ヨーロッパでも星付きに行ったけれども、もう歳をとってきてコース料理を出されても食べられない、といった方が多いです。最終的に自分が食べたいものが選べて2皿で完結するのがよいようで。20代のお客さんはほぼゼロです」。
予約が取れない、人気が続いている現状に、「評価してもらおうと思っているわけじゃない。20代からやりたかったこと、『オーバカナル』でやっていたことを変わらず今もやっています。クオリティは年々良くなりますよ。何年も何十年もずっと同じことをやっていますから。自分たちが行きたい店をずっとやっているんです」と大助さんは話す。
今後の希望を問えば、「何店舗とか増やすのではなく、この店を大きくしたい思いはあります。『オーバカナル』みたいに、カフェスペースとレストランスペースがあって選べるような」と大助さん。瀬利奈さんは「こういう店でやっていけるんだよっていう、見本を世の中に見せていると思うんです。神戸で同じような店が増えてくれたらな、と。でも、厳しいことを言えば、それだけ経験のある人間がいないので難しいですよね」とも。
今、神戸では20代や30代そこそこで店を出す人が多いことに、「店を出してから勉強する人が多い。“お客さんの意見を取り入れて自分が成長していく”みたいな姿勢ですよね」と。大助さんも「これが美味しいって言い切れる自信がない子が最近多いです。どんどん自信をつけてほしい。オムレツがうまく巻けるとか、本当にくだらないことからでいいんですよ」と。後進への思いは続く。「5年後、10年後とか自分たちは変わってないと思います。ただ、若い子が成長して任せられるようになったらいいな、と。シンプルに、“自分たちが行きたい店”が増えて、切磋琢磨していきたいですね」と瀬利奈さん。大助さんも「店の若い子にも“感覚を磨け”とよく言っています。“俺もいつか三谷さんや櫻井さんみたいになってやるぞ”っていうような強い気持ちを持てば、きっと大丈夫ですよ」。

笹倉 大助(ささくら だいすけ)プロフィール

1975年、兵庫県生まれ。19歳から飲食の業界へ入る。神戸のフランス料理店などで修業を重ね、26歳で赤坂『オーバカナル』へ。4年経験を積み、渡仏。ブルゴーニュ、バスク、ブルターニュ、ロワールなど各地の星付きレストランなどで務める。バスクのホテルレストラン『シェ・シロ』で瀬利奈さんと出会い、ともに厨房で働く。帰国後、『レスプリ・ミタニ ア ゲタリ』、『ヴィロン』で務め、『ル・リオン』池袋そごう店ではシェフとして働く。2015年、『シェ・シロ』を開店。

笹倉 瀬利奈(ささくら せりな)プロフィール

1976年、兵庫県生まれ。4歳の時に『料理天国』を観てフランス料理に魅かれ、料理人を志す。辻調理師専門学校を卒業後、同校で3年職員として勤める。原宿『オーバカナル』で2年半など経験を積み、30歳で渡仏し、バスク『シェ・シロ』で1年半経験を積む。帰国後、表参道『ローブリュー』で6年務めたのち、2015年、『シェ・シロ』を大助さんと開店。

[掲載日:2023年8月1日]