いろんな方々の記憶や心に残る場所でありたい

京都・神宮丸太町に2年前に開店した『日本料理 研野』。 オープン時から話題となり、カウンター割烹の新しい形として予約困難な状態が続いています。ユニークなスタイルのひとつであるBGMや今後の展開について酒井研野さんにうかがいました。
料理ひと皿ごとに合わせるBGM
日本料理の生粋をゆく造りや凛とした椀物、七輪で炙るチャーシューなど中国料理のエッセンス溢れる品々を緩急あるコースで供す評判の一軒だが、噂の理由は料理の見事さのみではない。供する料理ひと皿ごとに合わせて音楽を変えているのがユニークだ。
「かける音楽は全ジャンルです。クラシックもオーケストラ曲からピアノの伴奏曲まで。あとはジャズ、オペラ、歌謡曲など」と主人の酒井研野さん。もともと音楽を聴くのが好きで小学4年生のときに『ザ・ビートルズ1』に出会って貪るように聴き、さまざまな洋楽に傾倒するようになった。料理に合わせて音楽を流す理由については、「お料理は一斉スタートなので、こちらの時間設定でお客さまに来店していただいています。お席につかれてからお会計されるまで2時間半ぐらい、みんなで同じ一つの映画を見ているかのような、ストーリーを作りたい気持ちがありました。そのストーリーを作る中でBGMが大事な要素でした」。
選曲の仕方を尋ねてみた。「例えば季節に合わせて。夏でしたら、最初、お客様がお店に来られたときは優雅な気持ちになっていただきたいのでオーケストラ、メンデルスゾーン『夏の夜の夢』。それから曜日。“土曜日の夜9時”という歌詞にちなんでビリー・ジョエルの『ピアノマン』。あとは天気。例えば満月だったらドビュッシーの『月の光』とか」。基本は、月1回変更する献立を考えているときに、料理に合う曲を合わせていく。最初はワルツやオーケストラ曲で始まり、乾杯のときは椿姫『乾杯の歌』、そこからアップテンポのジャズで気持ちを高めて。その後世代に合わせた懐かしの曲、ときには日本の唱歌も、といった流れだ。
「音楽って細かなシーンを詩に書いて作られているので、イメージに合う曲が必ずあるんです。音楽が料理の物語を、季節感や懐かしさ、情景などさらに広めてくれるんです」。
お客様からの声も上々だ。「青春時代を懐かしがられたり、あの頃はこんなことがあったなど会話も弾まれますし、僕もそれを共有させていただけます。味を超えたところでしょうか、目で見て香りを嗅いでさらに耳から入ってくるという感覚を使って、料理に対する理解も深まるように感じています」。


自分のスタイルを貫ける背景
酒井さんは、日本を代表する料亭『菊乃井』で10年務めた。大将である村田吉弘さんからは日本料理の技術、文化、考え方、商売の仕方など一からすべてを学んだが、最も心に響いているのは、生き方についての言葉だ。「料理を通していかに社会に貢献できるかを考えるべき。ただおいしいものを作るのではなくて、社会の一員としてどんな役割を果たしていくか、いかに自分の周りを豊かにしていくかが大事なんや」。
『菊乃井』での修業後は、ニューヨークのレストランで務めたり、イノベーティブや中華のレストランでも経験を積んだ。「京都にはよい料理屋さんがたくさんあるので、もっと引き出しを増やさないと」と考えたからだ。計約2年、異ジャンルで学び、今の店で独立となる。
「お店を持ったら一国一城の主になると言いますけど、僕は“攻められるような城を持ってどうするのか”と思っていて。みなさまに開かれた公園のような、大将がおっしゃっているような、公の施設を作っていけたらいいな、というのが根本にあります」。さらに、「商売というのは自分が山になることだと思っていて、山があれば地域は豊かになりますよね。豊かな生態系が育つまで清らかな心で商売していると、そこから綺麗な水が湧き出てきて、その水は山から里に流れ出て、それが農業用水になっていろんな作物を育てて、やがて養分となって海に流れ出ていくみたいなイメージです。自分さえ良ければいい、自分さえ儲ければいいという考えだと、きっと綺麗な水は湧き出ません」と続けた。
開店後2年経った今も、思いは変わらない。自分の作りたい料理を作るのではなく、お客さんが食べたい料理を、お客さんに合わせたものをより考えるように努める。そして心に残る時間をと、おいしい料理に加えて雰囲気や情景を保つことを目指し、音楽を流す。実は音楽も、お客様の年齢層やようすをみて、その場でセレクトを変えることもしばしば。DJさながらだ。「料理も音楽も自分が好きでさせていただけているので。好きならば、ちゃんと魂がこもりますし、どこを切り取っても “自分”が溢れてきますよね」。


0歳から100歳まで集う料亭を目指す
今後の展開を尋ねたとき、「今の店はカウンターのみで使っていただく方が限られるので、0歳から100歳まで幅広く利用してもらえるような料亭を作りたいです」と。音楽のように時を超えて愛される店を、と笑顔をみせる。
実はすでに、街の喧騒から離れた緑豊かな上高野に、夏は蛍が見られるような川沿いの場所を用意している。「どうしてもここでやりたいなと思ったのが、昔、人間国宝の三味線奏者の邸宅『妙音庵』というところで、ここに呼ばれているんじゃないかなと感じて。音でつながっているんです」。
その店では、昼夜一回転ずつ営業し、カウンターとお座敷を作り、カウンターでは今のようにお客様みんなでワイワイ楽しんでいただいて、お座敷は接待や家族の人生の節目の行事ごとにも対応できるように。BGMはカウンターとお座敷を分けて、用途に合わせて祝いごとの音楽をかけたりして……とイメージは膨らんでいく。「料理は今と変わらず、日本人に馴染む味、それから馴染んでいる味ですね。昔から京料理など、先人たちが作り上げてきた日本の文化を大切にしながら、様々な文化が織り混ざっている現代を表現しつつ、それを未来に繋いでいけるような料理をしていきたいです」。
そして何よりも、と続ける。「いろんな方々の記憶や心に残る場所ではあり続けたい、店中がポジティブな気で溢れていてあそこに行ったら元気に、明日の活力になれることを常に心がけていきたいです」。今、そして次へと向かって、リズムよく確実に前進し続けている。

1990年青森県出身。「人に喜んでもらうことが好き」なことが高じ、料理人を目指す。辻調理師専門学校後、『菊乃井』へ。関連店『無碍山房』では、料理長も務める。10年間務め、イノベーティブ『LURRA°』、中国料理『京、静華』で経験を積む。2021年、京都・神宮丸太町に「日本料理 研野」を開店。2022年、「RED U-35」グランプリ受賞。
[掲載日:2023年9月1日]