変化しつつ、グランメゾンらしい時間を守る

今年50周年を迎えたフランス料理店『ルポンドシエル』。昨年、大阪・北浜から淀屋橋のビルの地下へ移転し、新しいスタイルのグランメゾンとして話題にのぼっています。続けて務めること、変化しつつも守ることについて、シェフの小楠 修さんにうかがいました。
29年続けられた理由
シェフの小楠 修さんは、『ルポンドシエル』に務めて30年目。いくつかの店を渡り歩いたのち、頃合いをみて独立する料理人が多い中、ひとつの店舗でかなり長く勤め続けている。その理由を問えば、「提携先のレストランが変わり、フランス人シェフも変わって料理も変化。飽きることなく、ずっと面白かったんですよ」と笑う。小楠さん自身も入社当時は3年で転職するだろうと思っていたそうだ。
入社時はリヨンの一つ星『ピエール・オルシ』が提携先で、日本常駐シェフはジェラール・ヴィナ氏。「フランス料理のいろはを教えてもらいました」。彼が辞めると聞いて自分も辞めようと思ったが、次の提携先はパリの『ル・グラン・ヴェフール』。二つ星で勢いのあるレストランに魅力を感じた。シェフはギイ・マルタン氏で、向こうから常駐シェフとしてピエール・ゲイ氏が来日。その後、提携先は同じで常駐シェフがパスカル・ロニョン氏に。最後は、フランスのリヨン郊外のレストラン『ギィ・ラソゼ』が提携先となった。
「シェフはそれぞれに違うんです。フランス人はたとえ同じ店であっても個性を出したがるので。例えばパスカル・ロニョン氏は彼の祖父がイタリア人の料理人だったので、バターやクリームを好まず、南仏料理に近いイメージで、オリーブオイルを使う。次の『ギィ・ラソゼ』はリヨンのレストランなので、どちらかというとコテコテ。おいしいんですけど、バターとクリームを驚くほどたっぷり使うんですよ」。
その後は、日本人料理人がフランスで活躍するなどの背景の中、あえてフランス人のシェフを雇う必要がないのでは、という話になり、それまでフランス人シェフを理解し、彼らのそばで日本人スタッフとのチームワークを整えてきた小楠さんがシェフに選ばれた。
自分の料理をする、となった時、「お客様から“フランス人がいたときの方が良かった”って言われるのが一番きついなっていうのが頭にありましたね」。そこでまずは、食材を見直すことに。これまでは業者からの仕入れだったが、シェフ自ら毎日天満市場に行って仕入れるようになり、野菜類はかなり幅が広がった。特に魚介類は、地元である佐世保港から送ってもらい、キアラやマトウダイなども新鮮で上質な素材を扱えるようになった。今はバターやクリームをほとんど使わずに、素材を活かすことが多くなったとのこと。「それらの素材を使って料理を作っていく流れは、今までのフランス人シェフに教えてもらったものがどこか頭の片隅にあって、それが引き出しになっています。ただ自分のフィルターを通すことで、フランス人シェフと同じではなく、出来上がりは確実に変わっているんです」。
カウンターメインの新スタイル
2022年、『ルポンドシエル』は淀屋橋のビルの地下に移転した。店のメインは、薪火を中心にしたコの字型のカウンター。他、アート展が行われるギャラリーを併設したエントランス、ワインセラー、現代アートが配された個室など。『ルポンドシエル』=「天架ける橋」という意味から、デザインには橋をイメージしたアーチが印象的に多用されている。3年前に移転が決まり、2年間月1回で、プロデューサーの小山薫堂氏や設計士などを交えながら会議を重ねた。「今年ちょうど50周年。歴史あるレストランなのであまり変えてはダメなのではと思っていたんですが、やりたいようにしていいとの話でした」。親会社の大林組も柔軟なスタンスで、会議では「古いヨーロッパみたいな形にしたいよね」とか「せっかく淀屋橋があるから吹き抜けのファザードは同じデザインにしたい」などアイデアを交わしたという。
店の形や時流からカウンターを作るとなった時、カウンターでの経験は初めてながら手元は変に隠さずに、全部オープンに。そして、煩雑にならないようにカウンターで動くスタッフは3人までと決めた。「そんな新しい店に似合う料理を、というプレッシャーはありましたね。具体的には今までやってきた料理を、となりますが、足し算、引き算しつつ常に考えています」。
コースのデザート前に出てくるお米料理は新しい取り組みだ。小山さんから「ご飯ものを出したい」との依頼があり、ある時「ハムピラフってできますか?」と聞かれたという。そこで、バターとハムを買ってきて、家で試作。「美味しかったんですよ。これをベースに何か作れたら、と思いました」。フランス料理の後に来ても、和食のご飯の〆みたいにならず、リゾットみたいに重たくならない。また、同時に出汁にも注目。「その日に出た端材で作った出汁のスープをコースの最初に出しているシェフがいて、それをヒントにその日使ったエビの殻や頭にブイヨンを注いで置いてみたんです。あとは何も入れずに。その出汁がおいしかったので、先ほどのピラフ的なご飯と融合して、出汁をかける米料理が完成しました」。
薪の導入に関しては、「そもそも興味はあったんです。最初はちょっと悩みどころで、フランス料理ってやっぱりローストして……など変なプライドがあって。フライパンや鍋でお肉を転がして焼いて、そこでデグラッセっていう、その味が醍醐味だったので、それをなくしていいのかなって、ちょっと怖かったです」。でも、今は香りの付き方など薪火の面白さに夢中になり、コントロールもお手の物、とのこと。
目差す原点回帰と守るゆとりの時間
今後を問えば、「やっとスタッフが慣れてきたところではあるので、もっと自分も含めてさらに上を目指してレベルを上げていきたいです。ただ、それには人の力が必要。今は人が揃っているので、感謝しています」と話す。特に、人材の育成に関しては「時代と逆の方向を進んでいるんです」と笑う。今は捌いた魚が手に入る時代だが、「原始的にすべて一からできる職人を育てようと思っています。魚も当たり前に捌ける。それが本当の味につながると信じているんです」。
グランメゾンらしく、以前は、格式を保つスタイルでメニューや年間スケジュールもがちがちに決まっていたそう。「ここはある程度大きめのレストランですが、かといってホテルみたいな大組織ではないので、小回りが利かせられる。自分の好きな素材を買うことができて、自由に、その日でも素材やお客様に合わせて料理を変えたりできますよ」。
実はお客様の一斉スタートのスタイルも考えたという。確かに一斉スタートにすればオペレーションも管理しやすい。「でも実際にそういったところに行ってみると、遅れてきた人は“遅れましてすみません”と頭下げながら入って来て、それは違うのでは?と感じました。時間を楽しむということもレストランの役割ですから」。今、何時にアウトしてくださいとも告げず、個室のランチで17時くらいまでワイワイ言いながら楽しまれる方も。「ゆっくり食べられる。それはグランメゾンならではの贅沢かなと思うんですよ。その時間はこれからもちゃんと守っていきたいと思います」。





1968年長崎県佐世保市生まれ。大工だった父親の影響でものづくりに興味を持ち、料理人を志す。辻学園調理・製菓専門学校を卒業後、大阪や滋賀の飲食店やホテルを経て、1994年、『ルポンドシエル』に入店。ピエール・オルシ、ギィ・マルタン、ギィ・ラソゼなど歴代のフランス人シェフに師事する。2020年より総料理長に就任。
[掲載日:2023年10月2日]