あえて安定せず、深く考えて進む

栫山 一希さん
「伏見町 栫山」主人

2021年、大阪船場に彗星のように現れた日本料理店『伏見町 栫山』。街中とは思えない閑静かつ美しい空間の中、常に進化の見えるおまかせがいただけると評判です。掲げる目標や料理人としての想いについて、ご主人の栫山一希さんにうかがいました。

古典を学び、料理が変わる

「27歳で自分の店を持ってからの10年は、一言でいえば“大変”でした」と、栫山一希さん。独立したい料理人を支援するコンクール「チャレンジキッチン」で賞を獲り、ホテルエルセラーン大阪地下1階に、2010年『日本料理 かこみ』をオープン。「スケルトンでスペースだけ提供いただき、自分のやりたいことを、お金を借りて形にしました」。料理の腕にはある程度自信はあったが、経営は初めて。戸惑うことばかりだったと話す。
ちょうどフランス料理店で働いている時にコンクールに出たこともあり、コンクールで作った料理も和食にフランス料理をミックスした料理。それが評価されたので、自分の店も同様のスタイルにしたいと考えた。店の造りも純和風ではなく、大理石張りにするなど洋風も取り入れた。「今思えば、浅はかな考えだったな」と栫山さんは笑う。若い自分を省みるが、一つ芯はあった。「常に料理は好き。経営者に回るのではなくて、自分が食材を触って自分が料理する。そのころから今もずっと、朝から仕入れに自分で市場に行って、持って帰ってきて仕込みをしています」。
独立してからの10年、料理は大きく変わっていく。「大阪料理を学んだことが大きかったですね」。2015年ごろ、「食が大事なポジションにあるから、大阪料理を見つめ直してみませんか」という知人の持ちかけがきっかけだったという。最初は200年前の本膳料理を読み解くことからスタート。そもそも大阪で修業したこともなかったので師匠に教わることもできず、古典を勉強するために、多くの文献を読み漁ったり、勉強会に参加したりした。「何が正統派かはわからないですが、 “大阪で作る僕の料理”をやっていこうと思っています」。
食については、自分の学んだことを自分の料理に繋げる以外にも、継承していくという役割もあると考え、イベントなどにも数多く参加している。また、「今の料理屋さんは一人でやっていらっしゃるところも多いですよね。でも、僕は一人でやらないと決めているんです」。料理は必ず若いスタッフと一緒にする。それは「自分が早くに独立してしまったから、もうちょっと教えてもらいたかった部分もあるので、ちゃんと人には伝えたい。あと、一人でやると妥協するだろうし、誰か人とやることで自分にしっかり首輪をつけているところもあるんですよ」と話す。
古典的な料理を見直し、自分の料理が変わっていくことで、新しい店づくりを考え始めた。「自分の料理をお出しするのに相応しいしつらえというか、飾りですね」。さらにお茶を学んだことから、「室内は和風の聚楽の土壁を塗り、床柱があって床の間もある。小さくても門があって、石畳歩いて路地を歩いて中庭を見て、床の間を見て、席入りするというお茶の流れにはすごい魅力がありましたね」。そういった店ができる場所ないかな、と探し始めた。
区切りは10年ごとに訪れている。修業10年、独立して10年後新店へ。「10年が変わるタイミングだと肌感で感じています。お客様もちょうど一回りして変わっていく頃合いなので」。次は2軒目なので、悔いのないようにしたい。そして、まだ37歳。自分の若さを初めて強味に感じられたという。

店は古くからの風情が残るエリアにあり、藪内流大阪稽古場の跡地。
美しいカウンターからは坪庭が見える。

料理に合わせて空間を創る

2021年末、大阪船場に『伏見町 栫山』を作る。設計は京都の名料亭などを手掛ける杉原明氏、施工は大阪の数寄屋大工・平田雅哉氏の流れをくむ平田建設。周囲とは一線を介す閑雅なたたずまいだ。「自分で聚楽壁を塗ったり、煉瓦を積んでおくどさんを作ったりしました。店は未完で進化中ですよ」。
料理はより古典へ。「本膳料理を深く勉強したんですけど、なかなか本膳料理を今に落とし込むのは難しくて。その後に茶懐石ができているのでそこを土台にしています」。
店内メインのカウンターを活かすために、瞬間を大事に、出来立てを供すパフォーマンスを見せたいと考え「必ずコースの中にはタイミングのお料理を数品入れるようにしました」。
決まりを作った。横文字のものを使わない。例えばアスパラとかトマトとか、漢字のない素材は使わないようにしている。アスパラを使うなら同じ時期に出るうどを使おうと考える。ご飯の出し方も決まりの一つで、にえばなを供す。また、高級食材ブームに辟易していたので、高級食材ではないもので名物を作ろうとも。にえばなに添える豆腐は、1~2ヶ月間発酵させて作るもので、にえばなと合わせるとリゾットのようになると好評だ。さらに炊き上がったご飯のお供は船場汁。「船場汁って本当にいい料理だなと思うんです。どうしても食材に無駄が出ますから、それをお出汁にしてしまう。毎日味が違うのも面白いですよ」。

ご飯をおくどさんで炊いた過程の、にえばなと山うに豆腐。
ご飯とともに必ず供される船場汁。

あえて安定せず、アップデートする

今後についても尋ねてみた。開店当時、目標に掲げたのが、大阪・関西万博がある2025年までに “大阪に栫山あり”という店にしようということ。「海外の人にも大阪の、僕の日本料理を食べ、この雰囲気を味わっていただきたいですね」。
また、「80歳まで仕事をするので、あと40年間は仕事をします。10年ひと区切りなので、4回ないし5回はステップアップをしてもいいかな、と思っています」と。最終は街中に帰ってきて6席くらいのカウンター店。その前は大阪から1時間か1時間半で行けるところでオーベルジュ。東京も見てみたい、と未来のビジョンは尽きない。
そしてとにかく、朝も夜も考えている、という。「決まった時間に来ていただいて、限られたこの2時間2時間半という時間を、どう使っていただくかはもうずっと考えています」。料理以外のソフト面、人についても常に変化はするようにしている、とのこと。「あえて安定しないように。それがすごく難しくもあります」。だから、開店して2年経つが、去年の料理と今年の料理は全く異なるという。「月末、月初は休みにして、試作をして形にするんですが、常に変化があるので、付き合ってくれる若い人も大変だと思います。 “アップデート”っていう言葉をみんなで言っています」。
2025年、大阪に『栫山』あり、さらに長い目で見れば、大阪料理の新しい系譜の初代になっているかもしれないですよ、と話してみた。「それは嬉しいお言葉ですが、パワーが要りますね。もっともっと考えないと。いつまでも終わりはないです。だからこそ、この仕事、料理人は面白いんですよ」。

華やかに盛り込まれた八寸。
栫山 一希(かこいやま かずき)プロフィール

料理人だった父親の影響で、18歳で料理人の道へ。柔道神戸・三宮の日本料理店や有馬温泉、東京で修業。神戸フランス料理店『ルセット』でも経験を積む。チャレンジキッチンで賞を獲り、2010年『日本料理 かこみ』を開店。2021年には『伏見町 栫山』を開店。

[掲載日:2023年11月1日]