お客様を喜ばせることのみに邁進する

原口 隼平さん
「壱」主人

2022年3月のオープン以来、なかなか予約がとれないと話題の、芦屋にある日本料理店『壱(にのまえ)』。評判の理由は、他にはない選び抜かれた食材と主人のもてなしの巧みさ。食材の選び方や接客で大事にしていること、席数について、ご主人の原口隼平さんにうかがいました。

食材への探求心は父親譲り

「“食”がとても好きな父で、小さい時から様々なところに連れて行かれ、食材をとっては食べていました。朝起きてみたら海、なんてこともよくありましたよ」と話す原口隼平さん。菜の花の季節なら家族みんなで摘みに行き、それを湯がいてその日に混ぜご飯にして食べたり、TVで淀川のモズクガニがおいしいという情報を得れば、朝4時に起きて仕掛けをし、次の日にモズクガニをとって泥抜きをして食べたり。お風呂で素潜りの練習をしたのち、海に行き、ロープでつながれながらウニやアワビをとる練習をしたことも。さらに、夏場の毎週土日は料理旅館かキャンプへ。福井県などの地元の漁師さんが釣った魚を料理するようなお店にもよく通ったという。
小さなときから食材を知って選ぶために施された、実地体験による英才教育。そんな環境の中で5歳頃から原口さんは母親の横で台所に立ち、自分のできることに取り組んでいく。「おいしい」と家族が言ってくれたことをうれしく思い、料理人になることを決めたという。
2022年、34歳で自身の店を持つことになったとき、まず取り組んだのは食材探し。修行先の業者などから仕入れることも考えたが、修行先よりよいものが来ないのは当然。そこで、全部一からちゃんといいものをSNSやネットなどの情報を集めて探すことを決め、少しでも気になるものがあれば現地に足を運んだ。そして、生産している方々に熱意を持って「どうしても使いたい」と伝えたという。水なら出汁をとるのに適した青森県の白神山水、昆布なら一枚一枚手で収穫する礼文島の利尻昆布を使用している。
評判の海鰻もそんな食材のひとつだ。ただ現状に納得はせず、さらによいクオリティーのものを求める。「海鰻は今、有明産ですけど、近くの寿司店の子の地元が京丹後で、帰っては定置網で魚をとってくるんですよ。とてもいいんです。今度一緒に漁をさせてもらえることになったので、そちらに変えるかもしれません」。
それらの食材はシンプルに提供することを心掛ける。「おいしいものって何にもしないのが一番おいしいんですよ。“ピン”の食材を仕入れてきているのに、この食材を超える料理はないと思います」。そして何より「大ぶりのアワビや、海水で洗っただけのとれたてのウニの味を知っているからそう思えるんですよね。本当に父親に感謝です」と話す。

毛蟹と菊花酢のゼリー寄せ。
有明海で獲れた天然の“海鰻”。神経締めをして一週間ほど寝かした後調理。

戦略的カウンター6席

独立するとき、どうお客様に喜んでいただけるか、来ていただけるかを考えた。そこで、「8席とれるカウンターですが6席にし、一回転にしました」。例えば15席だったら、一人でお客様全員に対応できるかといえば、できない。となったときに若い子が接客をするとお客様の満足度が変わる。それは自身が他店に行ったときに感じたことだ。「一番大事にしているのは、お客様の立場になることです。“また来たよ”“いつもありがとうございます”っていう関係性があるお店が、すごくいいお店だなって思うので」。だから今は新規の客を積極的にとらず、お客様を深く知り、もてなすことを追求する。
「ましてや二回転なんて無理です。一回転目が5時スタートの7時半の終わりとしたら、終わりごろって片付けながら次の用意をされたりしますよね。苦手なんですよ」。
もてなしのポイントも。「例えば家族連れ4名なら、一番大事にするのはお母さんなんですよ。お母さんって本当は連れてこられただけで興味ない方が多い。その方をいかに喜ばせるか、笑かせて楽しませるかっていうのを心掛けています」。常にお客様を見て、乗り気でない方を見つければ、その方にあえて話しかける。それは居酒屋時代に学んだ、見極める力が活きているそう。
「目先の利益にとらわれず先を想定して、6席を精一杯もてなすのが僕のコンセプトです。満席にできなかったら潰れるという覚悟を持ってやっていますよ」。

お椀、白甘鯛と高野山の松茸。
カウンター6席のみの店内。店は芦屋の静かな並木通り沿いにある。

ネガティブ要素を持たずに

今後についてはアラカルトのお店をしたい、と話す。「オープンキッチンの10席ぐらいで、いい居酒屋をしたいですね」と5年以内実現を目指す。50歳、60歳になったときのビジョンを問えば、「一軒家で店をしてみたいです。広い厨房で、オープンキッチン。本当に信頼できるスタッフが入れば、今の店も屋号から全部変えてその子の一号店にしてあげようかなと思っています」と太っ腹だ。料理人として以外にもお祭りがしたいとも。「飲食店がブースで出ていて、子どもたちを呼ぶようなお祭り。“ちゃんとしたものを食べや”という気持ちからです。子どものときの“食”は大事だと思うので、自分が伝えてもらったことを伝えたいです」。化学調味料の入ってない出汁を販売したりなど子どもたちに役立つ商品開発をしてみたいとも話す。
揺るがない姿勢については「途中で思いついた夢じゃないので、ずっとそのことしか考えてなかった。だから全く迷わないです」。ネガティブ要素は基本持たない、迷わない。その理由は、20歳で入った居酒屋で、3か月で前の店長がいなくなり、店長を務めなくてはならない状況になったことに関係する。「ボロカス、怒られるじゃないですか。何にもわからないから。でもビクビクしていたら何にも始まらないと思って、この性格になったんですかね」と笑う。
だから、「とにかくお客様に喜んでいただくことだけですよね。それを続けていたら絶対、店は潰れないと思います」と。芯を貫く前向さが清々しい。人当たりがよく、お客様や生産者の方々に気に入られるのも納得の心意気に、人が自然と集うのかもしれない。

原口 隼平(はらぐち じゅんぺい)プロフィール

1989年大阪生まれ。16歳から寿司店でアルバイトをし、20歳からは居酒屋で6年間店長として働く。26歳で大阪・高槻の日本料理『心根』に食べに行って感銘を受け、そこから7年間修業を重ねる。2022年に『壱』を開店。

[掲載日:2023年12月1日]