既存の寿司の世界から一歩前へ

なかなか予約がとれないと話題の、大阪・谷町五丁目にある『鮨三心』。
他にはないネタのユニークさやシャリへの追求、昼のみという営業スタイルで、飲食業界に新しい風を吹き込んでいます。
寿司への思いやスタッフとの関わりについて、ご主人の石渕佳隆さんにうかがいました。
もっとできることがある、と考える
「寿司屋になる、その一本釣りでした」と話す石渕佳隆さん。飲食業やシェフになりたいわけではなく、ただ寿司屋という最終ゴールに向かって、修業時代はひたむきに進んできたという。39歳で独立して、『鮨三心』を開店した。
自分の店をどうするか考えたとき、「他の料理は100年経てば全く違うものになっているのもあるのに、寿司だけは形を変えてない。寿司は世界観や伝統を守り、ソースは醤油で、スパイスはわさびが主。昔の姿を大事にしている。もっと進められる、もっとできることはあるはずでは?との思いがありました」と話す。とはいえ、創作寿司と思われては本意ではないので、自分の寿司をお客さまに認めていただいてからと決め、ここ1、2年でチャレンジをし始めたという。「今まで誰も握ったことのないネタを握ってみようとか、誰もやったことのない調理法でやってみようとか、こんなスパイスを使ってみようとか、ですね」。
シャリをとことん追求する
まずは、シャリへの追求が類を見ない。「寿司ってほとんどシャリですよね。もっと考えるべき」と、シャリを構成する米、水、酢、その他の調味料はもちろん、うま味として昆布を加えるのかどうか、温度やシャリを炊く釜の材質まで、疑問を持って探求し続ける。「そもそも米を炊くことが正しいのかも疑問。炒めたり、煮込んだりしてシャリを作れないかとも思いチャレンジしてみました」。当たり前を見直して考える。そして理想のシャリへと向かう。「言葉では言いにくいですが、一粒ひと粒の粒感がある、口に入れたときにほどけるシャリ。一番大事なのは一体感なので、ネタの水分とシャリが馴染むこと。窯の蓋を開けた瞬間の、炊き立てのご飯の表面のヌルっとした艶を一貫一貫のシャリに持たせられたら、すごくおいしいお寿司になるんじゃないかな」と。一体感を求めて、今は手酢に米のでんぷん質を溶かしているという。「シャリとネタを1個のものにしたい。だからそのつなぎを常に考えています」。
2020年からは米作りも始めた。「品種やブレンド具合、保存の仕方などを相談していた米屋さんと、生産者さん、寿司屋の三つ巴で、理想の米を作ろう」との話になり、滋賀県守山市で日本晴という品種に取り組んでいる。「あっさりしていて寿司にすごく合うと思います。お寿司を14貫くらい出していますけど、一貫のパワーよりも流れを考え、食べ疲れしないようにしています。お米のうま味や味付け、塩分が強すぎないように。低いトーンで続く音楽みたいに作れたらいいな、と思っています」。

仕事を施し、もう一つ先の感動を
もちろんネタについても手を緩めない。テーマの一つに野菜がある。「寿司には野菜がないとずっと思っていたので、出会う農家さんの野菜をお寿司にできないか」と試作。いくつも考えて一軍に上げられるのはほんの数貫。ハーブ巻は一軍選手だ。今は水なすを引き上げられないかと考えている。「わざわざ野菜を出すのだから、おいしくて驚きがないとダメですよね」。今は必ず1貫、野菜をコースに入れている。
最近ではオイルを使っているとのこと。「香りのためです。14貫のうちに1貫、後から追いかけてくるような香りの余韻を出したくて。例えば車エビはあらかじめ火を入れ直前で温めなおし、頭のみそを乳化させたエビ味噌とエビの殻の香りを移したオイルを挟んで握っています」。1貫で驚くほど手数の多い仕事量だ。「例えばイカなら、イカにウニは乗っけずに、イカだけでちゃんとイカの全ての持ち味を引き出したい。“このイカもうちょっと仕事したらもっとおいしくなりそう”って思うんです。全貫そうしていきたい。切って握るだけじゃない。切って漬けるだけじゃない。切ってすぐに締めるだけじゃない。仕事を施して、もう一つ先を感動していただきたいんです」。
そして、その組み合わせにも注力。「セットリストと一緒で組み立てを熟考します。温かいもの、冷たいもの、あえて冷たいものに熱々のシャリを合わせてみたり。醤油も二杯酢みたいな酸味のある煮切りやとろみつけたポン酢など。ネタは、魚、甲殻類や長いもの、貝類もあって。煮物や焼き物、漬けたもの、昆布締めや酢のものも。それらの組み合わせで、お客様の脳みそを揺さぶっていくんです」。


昼のみ営業という革命
11時半から、14時から、という2回転の昼営業のスタイルも革命的だ。「コロナがきっかけで昼営業をしてみたんです。そうしたら、19時くらいに家に帰って、家族とご飯を食べられて。“なんだ。この世界は。今までとは全然違う”と思いました」。これまで当たり前に夜中まで働き、家族とはほとんど接する時間がなかった。今のスタイルの結果、全く売上も落ちず、「お客さまも生産者さんや仲介業者さんもスタッフも、最終みんなハッピーみたいな。勝手に俺たちが固定概念を持っていただけだったんです。お客さまも“昼もなんかいいな、旅行に来たみたい”と好評です」。
店はガラス張りで目の前に公園がある。春には店から満開の桜が見える。「外の光が入ってきます。狙ったわけではないけど、“うちは昼に営業するためにこの店を作ったんやな”と思えました」。そこから、なかなか続かなかったスタッフが続くようになった。「昼営業で空気が変わった感じがしました。新しい世界を作れたと思っています」。
インスタでは寿司よりもスタッフとの写真が多い。スタッフとのチームワークや育成にも力を注いでいるからだ。「チームは作りたかったです。一人で小ぢんまりするつもりはなかった。自分の知っていることをできる限り教えて、ここから出た弟子の店を作るのが夢なんです。僕は寿司しか作れないから、自分なりの寿司を一人でも多くのお客さまに食べてもらって、みんなが幸せになることが僕の社会貢献だと思っています」。

ただ、かっこいい一職人でありたい
今後についても聞いてみた。「面白くないんですよ。特に何もないから。野心がないんですよ。銀座で勝負とか海外へ展開とかは全くない。もうリアルに、目の前の一貫をおいしくする料理人でありたい。ただ、かっこよくはなりたいですよ。かっこつけなんで。60、70歳になっても、背筋を伸ばして。若い子から、“あんな人になりたい”って思われるような一職人でありたい。ちゃんと料理をして、ちゃんと大らかで、ちゃんと頭も下げられる。あとはもう弟子たちがビジョンを持っていろんな活躍をしてくれるように、責任を持って、そんな僕の姿を見せていきたいですね」。
1978年、熊本県生まれ。高校卒業後、寿司職人を目指し大阪へ。寿司屋や他ジャンルの飲食店も含む21年間の修業を経て、2016年、大阪谷町五丁目にて『鮨三心』を開店。昼2回転の営業スタイルで話題を呼ぶ。
[掲載日:2024年2月5日]