忘れられない刺激的な出来事が2つある。アラン・シャペルのフォアグラ料理 前田日明のU.W.F.

中尾 勘一郎さん
レストラン「ディーバ」オーナーシェフ

大阪・天満市場の前に独立開店して16年。
街場の人気店へと成長させた中尾勘一郎さんには
忘れられない刺激的な出来事が2つある。

ひとつめは、料理人になるかどうか迷っていた20代の頃、旅をしていたフランスで遭遇した味の衝撃。それは、リヨンの郊外にあるオーベルジュ「アラン・シャペル※1」で食したフォアグラ料理だ。「おいしさを通り越し、ええ気持ちになる」なんて、これまでに経験したことのない味覚だった。そして「料理で人の気持ちをこんなにも揺さぶることができるのだ」と、料理人を一生の仕事にしようと決意した。

もうひとつは、一人前の料理人になる修業中のとき。どんなフレンチを目指すべきか模索していた中尾さんに光明となる刺激を与えてくれたのが格闘家の前田日明※2だ。それまで興行色の強かったプロレスに反し、真剣勝負を見せようと1984年に新団体UWFを旗揚げ。キックと関節技を中心とした前田選手たちの格闘は、まさに革命だった。

「プロレスをリアルな格闘競技にするため、余分なものを削ぎ落としたのがUWF。その方向が支持されれば観客は集まるし、ハコが小さくても成り立つのがわかった」と中尾さん。独立できるまで、フレンチのUWF化をあたためていた。

料金はリーズナブルにおさえる。そのため、お仕着せのフルコースではなく、メニューは好きなものを選べるようにする。サービスも過剰にならず最小限にとどめる。などと、フレンチの敷居を高くしていると思われる要素を削ぎ落としていき、リラックスして食事を楽しめる店にすること。

「今なら、それってビストロやないかと指摘されるかもしれないが、90年代当時、周辺でこれがビストロと言えるような店はなかった」と中尾さん。だから「自分的には小振りでもマニアックなレストランにしていこうと思っていた」と言う。結局、当初の狙いを現在の店「ディーバ」で実現させている。

UWFは今のK1など総合格闘技の展開へとつながる流れの元になった。「本当のものを見せられると、ウソが通用しなくなる」と中尾さん。料理に関していえば、皿の中が問われる。二皿で勝負するなら、二皿でおいしくお腹いっぱいになるように満足してもらわねばならない。現在、中尾さんは一人で料理とサーブを行う、その姿はまるで格闘家のよう。「技を磨くために日頃から鍛えることは、料理人も格闘家も同じ」という。

ところが、最近は反省しきり。どうも敷居を下げすぎたようで、本来のマニアックな線とずれていくのが気になっている様子。たとえば、ア・ラ・カルトは一人前の皿として供しているのに、お客さんは一品料理と受け取り、すぐにシェアしたがるなど。「こちらが狙う姿に近づけられていない」と中尾さん。

しかし、嘆くばかりでないのが格闘料理人たる所以。「料理については、基本となる方法論があるのだから、後はブラッシュアップさせればいいこと」と、これからすべきことを見据える。それは、空間やサービスなどの各パーツを洗い出し、打つべき手を打ち構築し直すことだという。「将来、良くできるのなら、フランス料理というカテゴリーさえはずしてもかまわない」と言い切る。中尾さんと「ディーパ」のこれからが注目される。

※1 アラン・シャペル

料理の原点は素材にあるとアラン・シャペルは言っている。フレンチの大御所になっても持ち続けた「素材の持ち味を大切に」という料理哲学は、アラン・デュカスをはじめとする多くの弟子たちに引き継がれている。中尾さんが訪れた頃、アラン・シャペル本人(1990年に52歳で急逝)はまだ存命だった。


※2 お宝ビデオ

1985年に行われた「UWF」伝説の試合(前田日明vs S.タイガー、藤原喜明vs 高田伸彦)を記録したビデオ。もちろん、中尾さんのお宝である。

厨房に立つ中尾さん。いまは一人で料理とサーブをこなす。
ある日の昼食メニューから主菜の1品。豚バラ肉とソーセージ、キャベツのブレゼ。まずワゴンで運び、客の前で煮た料理を食べやすくしてくれる手の込んだものだ。
フランス料理 レストラン「DIVA」
住所 大阪市北区池田町7-7 すきやねんてんまビル 2F
TEL. 06-6882-5676
店内には店名のもとになった映画「DIVA」のポスターが飾られている。その前に立つ“格闘料理人”中尾さん。

[ 掲載日:2009年6月5日 ]