中村 秀太良さんに教えられたこと。もてなしの心。

阪急「夙川駅」から甲山の麓へ延びた阪急甲陽線はわずか2駅の短い線だが、終点「甲陽園駅」周辺は、阪神間でも有数の住宅地として知られる。この地で祖父が始めた旅館「子孫」を7年前日本料理店にリニューアル。主人となって客を迎え料理人として腕を振るう藤原研一さんが常に指標とするのは、師の中村秀太良さんだ。
藤原さんは、前身の「子孫」を引き継ぎ料理も作っていた父の姿を見て育つ。「料理店は家業みたいなもの。自分は食べることも好きだったし、早くから料理人になろうと思っていた」と話す。そして修業先に選んだのが滋賀県東近江にある名料亭「招福楼」。
結局、藤原さんは「招福楼」に15年ほど勤めることになる。「修業先はそのひとつだけなんですが、ご主人の中村秀太良さんに教えを受けられて幸せでした」。藤原さんは中村秀太良さんに師事し、料理のみならず、客人を迎える“もてなしの心”の大切さを学んだという。
「招福楼」では茶の湯の精神に基づき「屋敷、庭、室内といった空間も、その中での設い(しつらい)も、器も、膳の上げ下げをはじめとする所作も、“すべて”が料理である」と教えられる。
茶会はそうしたすべてを主催者の亭主が用意し、客人をもてなす。しかも茶会の目的によって、用意されるものは変わるから、ふたつとして同じ茶会はない。まさに一期一会。もてなされる者は、そこに用意されたものを味わい感じて、ひとときを過ごす。「その体験はまさに芸術を感じ取るのと同じだと気づいて、料亭の価値をあらためて実感しました」と藤原さん。
そして、用意されるひとつひとつに意味があることを知る。「たとえば、どんな花を生けるか、どんな軸を掛けるかというような細部にも配慮して、迎え入れる準備をする。料理も献立を考えることから始まり、その時その場に相応しい料理を用意しなければならない」。そうしたすべてに表されるのが“もてなしの心”なのだ。藤原さんは「教えられるほど、中村秀太良さんにのめり込んでいました」という。
「いまでも、たとえば器ひとつ選ぶにもいろいろ考える訳です。料理に合うかどうかだけでなく、心持ちを表すのに合った選択かどうかなど。師ならどうするだろうと思いながら。そして、同じ日本料理でも、とんでもない道へ入ってしまったと、心を新たにするんです」。
とは言うものの、藤原さんが独立開業のために新生「子孫」で目指したのは料亭だった。旅館であった敷地を活かし、新たに庭を作りつけ、座敷などの室内空間との調和が計られるなど完成までに相当な時間がかけられたという。
「ニーズがある限り、自分は料亭のスタイルを貫き通したい。もちろん、料亭にふさわしい料理の創作にも力をいれながら」と藤原さん。「子孫」では、藤原さんとともに奥様の賀代さんが女将として客人をもてなす。師に導かれた道から独り立ちして7年。甲陽園に料亭料理の精神と文化を伝承しながら日本料理の楽しみを広げる料亭「子孫」が根付こうとしている。
[2009年6月22日取材]
藤原研一さん・賀代さん夫婦の休日の楽しみは食い道楽。昼・夜と分けて話題の店、関心のある店へ出かけるようにしているという。そのなかで、印象に残っている店をあげていただいた。
●「鮨寛(すしかん)」(東京都港区西麻布)
江戸前鮨の老舗。料理、握りが出てくるタイミングが絶妙。酒を飲む人、飲まない人に合わせ、食べる人のペースに合わせてと、客が何も言わなくても目の前にすっと出てくる。板前の仕事ぶりが良く見えるので、こちらも料理をどのように作ればいいか、また、どういうタイミングで席にだせばいいかが勉強になったという。
●「カハラ」(大阪市北区曾根崎新地)
カウンター8席のみ。オーナーシェフ森義文さんの作る創作料理(たとえば、伊賀牛のミルフィーユステーキ)に世界から注目が集まる。目の前で料理するのを見て話が聞けるので、森さんの食材の選びかた、生かしかたなど創作のバックボーンが垣間見られて感動したという。
●「招福楼」(滋賀県東近江市八日市本町)
140余年の歴史をもつ名料亭。ご主人の中村秀太良さんは、天竜寺僧堂の山田無文老師に師事、 武者小路千家愈好斎家元につき茶道に専念した後、「招福楼」を継ぐ。空間や設いから料理まで「禅の精神とお茶のこころを基とするおもてなし」が体現されている。


住所 | 西宮市甲陽園本庄町5-21 |
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TEL. | 0798-71-1116 |

[ 掲載日:2009年7月17日 ]