料理人の道へ導いた祖母の料理

今年8月30日、神戸でイベント「ジャン・ムーランの同窓会」が行なわれた。「ジャン・ムーラン」は8年前に惜しまれながら20数年の歴史を閉じた神戸の名店。オーナーの美木 剛さんは関西フレンチを長年にわたって牽引した料理人で、同店からは優秀な料理人が数多く巣立っている。当会は、美木さんとかつての弟子たちが集まり共作したコース料理を供する、一日限りの食事会。予約開始と同時に予定された席は即完売。期待に違わぬエポックメイキングなイベントとなった。
神戸・北野のフレンチレストラン「ペルージュ」のオーナーシェフ、栗岡 敦さんも同窓会に参加した弟子のひとり。なにしろ「ジャン・ムーラン」には16年間勤め、独立する前の数年間はスーシェフとして美木さんに仕えた。「修業したのは一店だけで、料理も料理人としての生き方も、すべては美木さんに教わったことばかり」と栗岡さん。「同窓会はお客様にも好評で、終わってから美木さんに感謝の手紙をいただき、親孝行したようで良かったです」。
美木さんといえば、早くから日本の野菜を使ったり和のエッセンスを取り入れるなどして、独自のフレンチを確立したことで知られる。「素材重視というか、シンプルに素材を活かすことを大事にされるんです。けれど、例えば塩や胡椒の効かし方とか、どのように手を加えればインパクトの強い料理になるかを学びました」と栗岡さん。
独立しても栗岡さんにとって美木さんは偉大な師であるのだが、栗岡さんは「振り返れば、料理人になる過程で忘れられない人が、あと二人いる」と話す。プロを目指して修業に入ってからは師がいるけれど、それまでに、いわば料理人の道へ導いてくれた人だという。順にさかのぼると、次のようになる。
一人目は、栗岡さんが16歳のころ、ひとりで生活しようと長野県白馬村のペンションで働いていたときに出会った料理人。「中学を出たばかりで、なんとなく料理を勉強しようかなと思っていたころ」のこと。大きなペンションだから、毎日の食事の用意も本格的だ。そこで2年間、料理長を務める人に料理の基本を徹底的に叩き込まれたという。
その料理長も独学で料理人になったようで、「これから、どのように学べばいいかも親切に教えてもらえたのも大きかった」と栗岡さん。「和・洋・中華を一通り学べたし、何よりもプロの現場を経験できた。それが調理師学校に入って本格的に料理を学ぶきっかけになった」と話す。
そして、さらにさかのぼれば、栗岡さんが少年のころ。二人目は、大阪府堺市の実家で、働きに出る親の代わりに食事を作ってくれた祖母の智阿さん。98歳になった今もご健在とか。「料理が好きだったんでしょうね。子供のぼくにも手を抜かず、いろんな料理やお菓子を一所懸命に作ってくれました」。
朝は絞り立てのジュースが出る。得意なのは手作りハンバーグなど洋食系。プリンやアップルパイなどの洋菓子もお手製。という具合に、栗岡さんは懐かしそうに思い出の味を挙げていく。「本当においしかった。おいしいものを食べて幸せだった。そうした、ひとを幸せにするおいしい味は舌が覚えているもの」。栗岡さんは、今もその原体験が土台にあるという。現在につながる出発点は祖母の味だった。
栗岡さんは「フレンチは仕込みがすべてと言っていいほど大事」という。コースは流れで出すものなので、料理もサーブもリズムが狂わないように注意を払う。ゆえに、仕事を終えて帰宅しても、考えるのは今日の料理の反省と次なる料理の段取り。料理人になった道を振り返るときも、過程の要所で何があったかを辿ってみる、栗岡さんのプロ魂というか性格が滲み出てくるのだった。
[2009年10月13日取材]


写真提供/月刊あまから手帖 撮影/塩崎 聰

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[ 掲載日:2009年11月19日 ]