進むべき道を示してくれた寿司職人の仕事

握り寿司は、すしダネをすし飯にのせ、握って作られる。シンプルだが、奥の深い料理である。大阪市西天満で江戸前寿司の店「鮨ろく」をかまえる堀内紀久さんは「あれもこれもと広げず、ひとつの技を深めていくことが自分の性格にあっていたんでしょうね」と、独立するまでの料理修業を振り返る。
堀内さんは五人兄弟の上二人下二人にはさまれた第三子。スナックを営む父の姿を見ていたこともあり、早くから料理人になると決意。高校を卒業後、飲食店に就職して見習いから料理の修業を始めた。
「最初は中華だったんです。けれど、3年程たつと、料理の基本を身につけるのなら日本料理と思い直し、方向転換しました」。そこで次なる目標を設けるのが堀内さんらしいところ。「まず、魚の捌き方から覚えよう」と考えた。そのために選んだのが寿司、しかも北新地の江戸前寿司の店に入ったのだった。
「握り寿司は刺身をすし飯にのせたものという程度の認識しかなかったから、見るのも聞くのもすべてが刺激的でした」と堀内さん。江戸前寿司のすしダネにはどれだけ手の込んだ調理がなされているか、寿司職人の仕事ぶりを目の前にしたことが転換点になったと話す。
堀内さんは見習いとして魚を捌きながら、〆る、寝かす、漬ける、茹でる、煮る、焼く、といった仕事と呼ばれる調理の中身を知っていく。「タネは魚を生身でだすだけでなく、どこかに手を加えたものが加われば多彩になる。それまで見えてなかった握り寿司の背景を実際に垣間見て、ひとを引きつける料理にはそれなりの理由があるんだと実感しました」。
こうして堀内さんは奥深い世界の入り口に立つことになる。早く一人前になって30歳で自分の店をもつという目標を掲げていたから、寿司職人になる道を進むのに迷いはなかった。
「見習いの頃は同じことばかり繰り返していても苦にならなかった。仕事を覚えるのがおもしろいのだから」。そんな心がまえもあって、魚の捌きから、やがて仕事の仕込みを任せられるまでにステップアップ。最終的には別の店で握りも習い、ひと通りの修業を経て、32歳のときに独立。2006年開店だから「ろく」と名付けた自分の店をもつことができた。
独立できたけれど、道はまだまだ遠い。「自分の考える寿司の完成形を目指し、ひとつひとつ地道に進めていくだけ」と堀内さん。同じ魚でも1年を通してみれば、例えば脂の付き方が違う。仕事にしても、その変化に応じた塩加減があるように、魚のそのときの状態で最適な握り寿司にするにはどうすればよいか。「磨かなければならないこと、多いですよ」。
「鮨ろく」で供されるのは、あくまでも魚介類を中心とした江戸前の握り寿司。堀内さんは毎朝、大阪市中央卸売市場に出かけ、その日の魚を仕入れる。マグロは築地市場から取り寄せるなど独自の仕入れルートも開拓している。すし飯には砂糖を入れず、酒粕や沖縄の天然塩を使うなど創意のあとがうかがえる。
開店から4年目。固定客もつき、堀内さんの仕事ぶりを評価する人は多い。「大阪のお客さんは食通が多く、江戸前寿司をよく知っておられる。こちらも勉強になります」と堀内さん。カウンターをはさんでのやりとりが握り寿司の醍醐味でもある。そうしたスタイルのもと、料理人と客との磨き合いで技も味も高められいくのだ。
[2010年2月11日取材]




住所 | 大阪市北区西天満4-12-22 |
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TEL. | 06-6367-5040 |

[ 掲載日:2010年2月18日 ]