高田裕介さん 本田圭佑さん

船岡 勇太さん
「Funachef (フナシェフ)」オーナーシェフ

大阪・天満の路地にひっそりと佇む、循環型フレンチレストラン「Funachef(フナシェフ)」。
オーナーシェフの船岡勇太さんは、フードロスはもちろん、まだ活用できる資源を内装に活かすなど、“人と環境と地球の循環”を大切にした店づくりをモットーにする。

かつて、プロサッカー選手・本田圭佑さんの専属シェフとして名を馳せた船岡さん。曰く「“あのシェフ”と出会っていなければ、フランス料理の道を歩んでいませんでした」ときっぱり。

あのシェフとはーーー「僕が尊敬し続けている「ラシーム」高田裕介さんです」。
辻調理師専門学校を卒業した後、大阪市内のレストランで働き始めた船岡さん。「その店はイタリアンとフレンチ、2つのレストランがありました」。それぞれの厨房やフロアで、数ヶ月間の研修を行うなか、6人いてた新入社員は船岡さんたった1人に……。「カリキュラムを終えた僕、イタリアンを希望していたのですが。フレンチのスタッフに欠員が出たんです。その時、高田さんが僕にこう言ってくださったのです」。

“船岡、お前フレンチやれよ”
「あの一言がなければ、全く違う道を歩んでいたと思います」と当時を懐かしむ。「高田さんのこの言葉も忘れられません。“冷蔵庫の余り物で、最高の料理を作ることができるのが、真の料理人だ”と。たとえばキュウリ1本だけでも、お客さんの心を揺さぶる料理はできるということを、高田さんから学びました」。
2年半のレストラン勤務を経て、上京を決意したのも“東京にはすごい料理人が山ほどいるから行くべき”という高田さんの後押しがあったから。東京「タテルヨシノ」で経験を積むことになる。

しかし、当時の船岡さんは「今振り返ってみても、最低の人間でした」と苦笑する。「挨拶はしないし、嘘は平気でつくし、態度も悪い。そして誰よりも美味しいものが作れるという自負もある、超生意気な若造でした」。

共に働く先輩方からの、風当たりは厳しかった。「だからこそ自分自身を見つめ直すことができたと思います」。誰よりも早く出勤して、トイレや洗い場の掃除を行う修行僧のような日々を送ったこともあった。「一生懸命、頑張っているヤツの邪魔はするもんじゃない」。かつて高田さんから聞いた言葉を胸に。そうして船岡さんは、徐々に改心していく。「今でも、手嶋純也さん(シェ・イノ料理長)は、“まかないが、誰よりも上手かった”って言ってくださるのが嬉しいです(笑)」。

「タテルヨシノ」でフランス料理のクラシックを自身にとことん叩き込んだ船岡さんは、大阪へ戻ることを決意。「高田さんがパリのレストラン修業に行かれる時、“独立するときはウチ来る?”と言ってくださった。その言葉を、覚えてくれていたのです」。それは2010年3月のこと。大阪・本町に誕生した「ラシーム」で働くことになる。

「この時も、高田さんにはめちゃくちゃ迷惑をかけ続けました」。就業後は、夜の街へ繰り出したが、夜中2時に店の前を通ると、高田さんは店内でまだ読書に耽っていたことも。「もっと料理に向き合わないといけない」と気づき始めてはいたものの、「高田さんのことを、シェフって言えなくなっていました。僕は東京でキャリアを積んだという、変なプライドがあった。本当に生意気でした。“相手を思う気持ちがなければ、人間失格だ”と、高田さんから投げかけられた一言は、ずっと胸に刻んでいます」。

その後、船岡さんは体調を崩し、引き篭もりの日々が数週間続いた。包丁を握らない日が1年は続いたけれど、ゆっくりと時間をかけて自己を見つめ直し、どん底から這い上がってゆく。居酒屋でのアルバイト、ホテルでの勤務などを経て、大阪・中之島のフレンチレストラン「DUMAS(デュマ)」のシェフに就任。新時代の若き才能を発掘する、日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」2015では、BRONZE EGGを受賞するまでに。その3年後、新たな人生の転機が訪れる。

「たまたま、知人から“船岡、元サッカー選手の本田圭佑さんが、専属料理人を募集している”と聞いたんです」。「いつか海外へ」というコンプレックスを持ち続けていた船岡さんは、奮い立った。「今が最後のチャンスだ」。本田圭佑さんのSNSにDMを送ったところ、すぐに返事が来た。「その後、本田さんから電話がかかってきました。話し始めて2分くらいで“僕のシェフになってください”と本田さんは仰ったのです」。

船岡さんは本田さんの専属料理人になった。
「誰もできない、経験をさせてくれました。そして僕の人間性を修正してくれた恩師が、本田さんです」。
アジア、オーストラリア、ヨーロッパ……本田さんと共に巡った地は、数えきれない。専属料理人になるまでは、料理のクオリティを追求してきた船岡さんだったが、「料理は“命を救う”と気付かされました」。
カンボジアでは、水ひとつで人の命が救えることを体感した。それが、発展途上国の教育や農業、貧困などの分野にも活動の場を広げるきっかけにもなったという。
また、本田さんと訪れたオランダは、フードロス先進国だった。「規格外野菜の使い方はもとより、余ったものを捨てずに販売するためのアプリもありました」。船岡さんがオランダで知った、サーキュラーエコノミー(廃棄を出さない資源循環型経済)という概念が、独立後の店づくりに大きな影響を与えた。

“人と環境と地球の循環を”
シェフが食材と出会い、その食材が輝きを放つように、資源も、そして人間も、誰と巡り合うかで価値は変わってくる。「この共存関係を、フナシェフで表現し続けたい」と話す。なかでも、船岡さんの信念は一貫している。「まず、近い人たちを大切にしたい。お客様はもちろん、スタッフ、家族…。近くの人に、料理を通じて何ができるか」を日々突き詰める。そうして「高田シェフや本田圭佑さん、たくさんの方々からいただいた恩を、返したいと思っています」。

船岡勇太シェフは2020年2月に「Funachef」を開業。22年2月には、天神橋筋沿いに食堂「Fu-n@(フーナ)」を、24年1月には水産卸会社とタッグを組み、「無駄をなくし全て使いきる手の届く贅沢を」がテーマのレストラン「漣(さざなみ)」を北新地に開店した。
取材時は、仕込みの真っ最中。「僕が前に出るのではなく、スタッフに活躍の場をもってもらいたい」と船岡シェフ。それは営業中のお客様との交流はもとより、独立支援や、海外研修のきっかけを作るなど。「近しき人たちを大切にしたい」思いが、スタッフのモチベーションに繋がり、それが店の空気となり、お客様にも伝播する。
「Funachef(フナシェフ)」
住所 大阪市北区黒崎町6-4 2F
TEL. 06-6450-8565(予約受付時間10:00〜20:00)
営業時間 12:00〜、18:00〜 一斉スタート
定休日 日・月曜、火・水曜のランチ
web http://www.funachef.com/

[ 掲載日:2024年4月25日 ]