「シニフィアンシニフィエ」志賀勝栄さん

2024年5月。世界の美食家に名を轟かせるフレンチレストラン「ラシーム」が、ベーカリー「QUOI(クウァ)」を開いた。店長を務めるのは池田由美子さん。"低温長時間発酵"と"高加水パン"の開拓者として名高い「シニフィアンシニフィエ」志賀勝栄シェフの元、キャリアを積んできたパン職人だ。
「ラシーム」のオーナーシェフ・高田裕介さんは「ベーカリー開業に至ったのは自然な流れ。もともと池田さんは、ウチの店の常連。彼女との出会いがあったから」と話す。
池田さんは大阪府出身。「大阪あべの辻製パン技術専門カレッジ」を経て、長野・軽井沢のベーカリーで働き始めた。「長野という場所が、私に合っていました」。趣味はスノーボードと山登り。冬の閑散期であれば、仕事を終えてゲレンデへ直行することも多く、休日は「ガチの山登りを楽しんでいましたね。当時は仕事が100%ではなく、趣味を楽しむための仕事という位置付けでした」。
そんな池田さんにとって運命的な出会いは、ある日、突然訪れた。
修業先であるベーカリーの技術指導に「シニフィアンシニフィエ」志賀勝栄シェフが来たのだ。「志賀さんは毎月のように現場を訪れては、私たちスタッフにも丁寧に指導をしてくださいました」。
テクニカル面だけではなく、メンタル面も徐々に鍛えられていく。「志賀さんが選んだ本を読み、毎月のように読書感想文を書かなければならなかった」。自己啓発本、仏教本、脳科学本、サイエンス……そのジャンルは多岐に及んだ。「最初は面倒で。目次と前書き、巻末だけをざっと読み、感想を書いていたことも(笑)。だけど本気にならないと、向こうも本気になってくれない」と、池田さんは改心。「私って社交的でもないし、心が素直に受け入れるなんてキャパもなくって。志賀さんがセレクトした本を読み、感じたことを、意思をもって文字にして伝えることができたら」と、自身の枠を解きほぐしてゆく。
読書感想文のやりとりが続くうちに、仕事に対しての思考にも徐々に変化が現れた。「酵母の特性について、小麦粉の事細かな成分について。深く知りたいし、どうやって調べたらいいのだろう? そこには、突き詰めたくなる自分がいました」。
専門的な書籍を置く施設が軽井沢にはなく、時間を見つけては東京通いを続けた。目的地は、日本国内で発行されたすべての出版物がある「国立国会図書館」だ。休日になれば、長野の自然を愛し続けた山ガールが、いつしか勤勉家に変貌を遂げてゆく。「調べる時間を作ることが楽しく思えました。仕事に対してどこまで本気になれるか?ということを、志賀さんの生き様に、感じ取ることができたのです」。
その後、35歳を迎えた池田さんに、修業先のベーカリー閉店の一報が入る。「長野という大好きな環境を取ろうか。だけど、働きたい店が長野県内にはないから、職業を変えないといけない。もしくは都会へ出て、パン職人としてさらなる経験を積むか…。人生の“究極の選択”って、あのことです」と言って苦笑する。「そして思わず、志賀さんに電話をかけたんです」。
「大阪で開業するベーカリーを紹介するよ」
志賀さんのその一言に、腹を括った。2013年4月、大阪・梅田に誕生した「THE CITY BAKERY グランフロント大阪」のオープニングスタッフとして働くことに。「あの頃は、毎月のように「ラシーム」に客として伺いましたね。高田シェフには、料理に使われてる食材について色々と教えてもらったり。大阪での修業時代のモチベーションでしたよ」。そして「THE CITY BAKERY」で4年間経験を積むなかで、志賀さんとの交流はより、濃密なものになってゆく。「志賀さんは毎週のように、パン作りの講習会に招かれていました。私は月に2、3回、講習会のお手伝いをすることにしたのです。ありがたいことに、職場のスタッフはいい人たちばかり。講習会に合わせて休みを取らしてくれたり、シフトを調整してくれたり。感謝しかないです」。パン職人として日々勤しむなか、志賀さんの助手として日本各地に、遠くは台湾出張にも同行した。
池田さんは、パン業界をリードする志賀さんの一言一句、パンづくりに関わる細かな所作に至るまで学び、感じ取る日々が続いたのだ。
「そろそろ一緒にやってみる?」
志賀さんから「シニフィアンシニフィエ」で働かないか?と、オファーをもらった際は「やりたいです!」と即、快諾した。「目の前には厳しい道しかない、ということは分かっていたし、立ち向かう覚悟はありました」。
想像はしていた。が、それ以上だった、と池田さんは当時を振り返る。「交友関係も断ち、必死で働きました」。厨房では、例えばパン生地一つをとっても、何も考えずに触ると、師匠から「行動一つに意味を持ちなさい」と叱責が飛ぶ。「毎日、何かしら怒られていました。だけど何で怒られるのか、徐々に納得できるように。すると、一つ一つの行動が変わってきました」。
当時「シニフィアンシニフィエ」には日替わりのパンや限定メニューも多かった。翌日から販売が始まるパン1個のグラム数、長さ、レシピ、プロセス……全ての情報をメモに書き出し、頭の中に叩き込む。その数は、毎日30品目以上に及んだ。
「シェフに“これ何cm?”って言われたら即、答えられないといけない。司令塔であるシェフが、瞬時に段取りを組みながら、焼成に至るまでスムーズな指示ができるように」。復習・反復・予習が毎日のように続いた。「修業時代は、ぐっすり寝る時間なんて一切なかった。私にとっては、当たり前のことでした。死に物狂いで仕事と向き合っていると、グチを言う感情すらなくなるんです。そんな暇があれば、勉強する時間に費やしたいって」。
志賀さんから学んだことは、星の数のようにあると言う。技法はもちろんのこと、仕事をするうえで集中力を高めることが一番大切であること。また、「小麦粉を触る前に、ゴールまでしっかり見えていないと、理想とするパンを作ることができないこと」。“魂は細部に宿る”という師匠の言葉を念頭に置きながら、修行僧のような日夜を送った。「いつか限界の“先”が見えるはず」。気づけば7年の歳月が流れていた。
「一緒にパン屋をやらない?本気で考えてみて」
「ラシーム」高田裕介シェフからのオファーは「嬉しいことに、続いていました」。そこから2年の月日が流れ、夢が現実のものになる。2024年5月15日に「QUOI」誕生。
なぜフレンチレストランがベーカリーを?「池田さんとの出会いがあったから」と高田シェフ。池田さんは毎月、「ラシーム」通いを続けるなか、「パン職人なら、ウチのパンを作ってくれる?」と言う「ラシーム」高田シェフの要望を受け入れた。「志賀さんにOKをもらい」、コース料理のなかで提供するパンを、「シニフィアンシニフィエ」の厨房の片隅で、作り続けていたという経緯がある。
「QUOI」とはフランス語で「何??」という意味だけあり、全てが異色のベーカリー。
「ラシーム」並びの街角で一際目を引く開放感のあるフロア。ラボのような厨房に立つのは池田シェフを筆頭に、女性パン職人だけ。カウンターに並ぶのは、ベーグル、パンドミ、バゲット、チャバタほか、7種のパンのみ。
パンドミであれば、2種の国産小麦を軸に、ホップや米麹などからおこしたホップ種を用いる。湯種製法と低温15時間発酵の合わせ技で、小麦と酵母の甘みを丁寧に引き出している。
長時間の発酵法をとることで、仕込みを前日に終わらせることができる。つまり、パン職人の労働環境を改善できる仕組みが、「QUOI」のパン一つ一つに組み込まれているのだ。
シンプルなメニュー構成にこだわったのは、オーナーである「ラシーム」高田シェフとの協議の末。池田さん曰く「食材の無駄を極力出さない。そして製法の工夫で、パン職人の負荷を軽減したい」という思いがパンづくりの大前提にあるのだ。
「人生の楽しみ方は、人それぞれですからね。仕事だけが人生じゃないということを、長野で暮らしていたときに毎日感じていました。気持ちのゆとりを持つことができれば、自然と仕事に集中できます。そんな切り替えができる、職場環境をと考えています。もちろん、師匠である志賀さんから徹底的に学ばせていただいた思想は忘れずに」。池田さんの目はときに厳しく、最後には穏やかな表情を見せてくれた。






住所 | 大阪市中央区瓦町3-2-13 |
---|---|
TEL. | 070-1761-9800 |
営業時間 | 11:00〜19:00 |
定休日 | 日曜 |
https://www.instagram.com/quoi_japan/ |

[ 掲載日:2024年10月29日 ]