考える基礎、味の出し方を学んだ 井上 旭さん

実家が京都で飲食店を営んでいたこともあって、小学生の頃から料理が好きで食材、火、包丁に触れる機会が多かったという森永正宏さん。とはいえ、中学・高校生になるといろんなことに興味が出て、料理のことは頭の片隅にあった。スポーツもしていたし、デザインや美容師などの仕事もしたいと感じた。
けれど、高校卒業を前に「いざ」どんな仕事をしようかと考えたとき、頭に浮かんだのは料理人しかなかった。以来、辛いことがあっても料理人を辞めようなどと考えたこともなく、自分ではこれしかない「天職」だと思っているという。そこまで料理が好きな理由を尋ねると、「サッカー好きにどうしてサッカーが好きなのかと訊くようなものですよ」という答えが返ってきた。おそらくDNAに「料理人」が刻まれているのだろう。
そんな森永さんが料理学校卒業とともに就職したのが東京・京橋の名フレンチ「シェ・イノ」。時はバブル全盛、そして井上旭シェフが一番脂の乗っていた時代だ。20歳からの約6年間、京都から出て来ていた若者を一人前になるまで育ててくれたこの店はフランス料理の基本をすべて教えてくれたのだという。いや、教えてくれたわけではない。シェフがどのような考えで料理を作るのか、考えるチャンス、見るチャンス、作るチャンスを与えてもらっていた。
料理の世界といっても時代は今とは大きく異なる。レシピがあったわけではないし、10組の客があれば、10の料理構成があって、その日は何を作るのかなど、あらかじめシェフから発信があるわけではない。入荷した素材と客の好みを考え、その場で組み立てる。多忙を極めていたシェフなので、本番直前まで厨房にシェフはいないということがほとんどだった。
「シェフならどうするだろう?」「どういうお客様か?」「前回はこんなものを召し上がっていたから今回は違うもので」「この季節に抜群の素材はこれだから…」。シェフはどんな気持ちでいるかを常に考えた。かなりハイレベルな次元での想像力を求められる厨房だった。日々そういった環境で料理を作ることで考える力が養われた。スポーツのトレーニングと同じで、森永さんの「料理の基礎体力」はどんな環境でも対応出来るまでになっていた。
20歳で厨房に入った青年は、まかない担当からはじまり、前菜、野菜、魚、肉ときて、「シェ・イノ」の料理の命であるソースを任されるまでになった。しかし、それでもまだ足りないものがあった。それは「メニューを書く」ということだった。ひとつひとつのパートの料理は作ることができても、美しいメロディを奏でられるどうかはまた別の話。単純に技術の問題ではないと思っていた。そして「本場」が知りたくなった。
実は、フランスに旅立つまで2年かかった。自分の好き勝手で、店やシェフともう二度と付き合いをしないというつもりなら、すぐにでもフランスに行ってしまっただろう。けれど、先輩たちにそうしてもらったように、ちゃんと後輩を育ててからにしようと考えた。あと1年で辞める予定が店の事情で2年に伸びた。でも、おかげで「シェ・イノ」と井上シェフと森永さんは今もずっとつながったままでいる。それはフランスでの修業先でもそうだった。
井上シェフの元でスキルを身につけた自信があったから、フランスでも何とかなると思っていた。フランスにいきなり渡り、アポなしで「ギィ・サヴォワ」に入店交渉をしに行った。言葉も通じない中、なんとか店に入り、3ヶ月。次は、フランス修業の大きな目的であった「トロワグロ」。井上シェフの修業先でもある。連絡したときは定員いっぱいで入店はかなわなかったが、約3ヶ月後に願いがかなった。
1年ほど「トロワグロ」で修業して、次は「ジラルデ」だった。考えてみると、フレディ・ジラルデさんは「トロワグロ」の出身だし、トロワグロのミッシェルさんは「ジラルデ」で修業を積んでいる。井上シェフもそうだし、日本に帰国後、名古屋店の総料理長を勤めることになった「ミクニ」の三國清三シェフも「ジラルデ」や「トロワグロ」にいた。考えれば、森永さんは「結局、ずっと“トロワグロファミリー”で仕事をしていました」という。
“トロワグロファミリー”の特徴は「優しい」ことだったという。国籍・人種に関係なくみな平等に扱う懐の深さがあるのだと。常にゲストが喜ぶことを考え、NOはありえない。井上シェフもジビエとRCを嗜んだ常連のお客が「最後にオムライス」と注文しても、嫌な顔ひとつせず作っていたことがあったという。
今は「シェ・イノ」時代に作っていたようなソースに存在感のある料理を供する機会はあまりないが、それでも井上シェフから学んだ料理作りに対する姿勢は森永さんの血となり骨となっていることは紛れもない事実である。
[2010年6月5日取材]


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[ 掲載日:2010年6月22日 ]