「自信と基本」が人をつくる 津村 愼次さんと茶人の八木 宗俊・宗新先生

大渡 真人さん
割烹「祇園 大渡」主人

「師匠は三人。修業先の大将とお茶の先生です」
10数年前、料理人を目指し暖簾をくぐった大阪の割烹『津むら』。09年、大将の津村愼次さんは料理人を引退した。それを機に大渡真人さんは独立し、同年、奥さんの実家があった京都に店を開いた。「大将からは素材の見極めと料理人の在り方を学びました」。
世に一級品は多数ある。けれど「料理人として独り立ちするなら特級品を知れ」と、津村さんは若い大渡さんに惜しみなく「本物の味」を食べさせてくれた。店に仲買人がいたこともあって、『津むら』には市場に出回らない「一番」が多く揃い、それを目指して客が集った。儲け如何ではなく、料理人の矜恃として日々、仕入れをする。そういう大将の姿が自分の目を養ってくれたと大渡さんは振り返る。「『一番』を知ったおかげで僕も素材のランクは落とせなくなりました」苦笑いをしながらも、嬉しそうに「滅多に出回らない」という血抜きされた甘鯛を無心に捌く。
大将の教えはもう一つあった。「嘘をつくな。謙虚であれ」。例えば黒豆は、炊きあがった後ひとつずつ選別する。見た目の美しさだけでなく、破れた皮から中身が溶け出て全体に雑味が回るのを防ぐためだ。手間には理由があり、それを疎かにすることは、素材や調理法に対して嘘をつくことに繋がる。自然界からいただいた命を料理させていただく。その姿勢さえあれば、素材の良さを引き出す努力を惜しまないだろうし、味という結果も付いてくる。自らの腕に自信も持てるようになる。その日を楽しみに訪れるお客に、万全の料理を出すためにできること。『津むら』で学んだのは、技術以上に心のありようだった。

お茶を始めたのは大阪での修業時代。師事した八木宗俊氏と宗新氏は「基本さえしっかりしていれば間違いない。盆点前をきっちりしなさいと言う人でした」。お盆の上で最低限の道具を用いて行う簡略式の点前であり、茶道で最初に習う基礎稽古を学ぶ日々が続いた。ふたりは基本を徹底すると同時に、茶道具に込められた茶の心をよく聞かせてくれた。
ある日の稽古時、床の間に掛けられた軸に「柳緑花紅真面目」とあった。春になれば花は色づき、柳は風に葉を揺らす。時節の色をまとって咲く草木、その生命の営みを「真の面目」と賛嘆した書は、ありのままを肯定し、喜んでいるように思えた。「必要なものはその時になったら訪れる。その時まで、そのままでいいのです」。宗俊氏の解釈は大渡さんの心を揺さぶった。「大げさかもしれないけれど、生き方が変わるほどの衝撃を受けました。それまで欲しいものは必ず手に入れようとしてきたから」。
当時は「創作料理」全盛の頃でもあった。仲間にもそちらへ向かい、時流に乗って行く人もいた。「でも、塩焼きや吸い物の旨さを知って崩すのと、崩しから入るのとでは全然違うでしょう」。大渡さんは華やかな世界を横目に、黙々と『津むら』での日々を過ごした。料理人の基礎を自らにたたき込み続けた。「動じずにいられたのはお茶を習っていたから。『その時』が来るまで、自分のすべきことをやることが、自分の道だと信じていられました」。

『ミシュラン関西版』での1ツ星獲得、宗俊氏と宗新氏の死去。大渡さんにとって2010年は悲喜交々の一年だった。「落語に“はてなの茶碗”という演目があるんです。二束三文の茶碗が、人手に渡っていく内に法外な価値を生む。自分がその茶碗になった気がして…」。複雑そうに笑いながら「でも」と続ける。「こうなった以上、値を付けてくれた人を裏切らないことが僕の仕事です」。
開店当初は『津むら』の常連から、「懐かしい味」と言われることが多かった。「お茶を学んでいる」と言うと、「八寸も煮えばなも出さないじゃないか」と言われたこともあった。自分の料理とは何か、考え悩む日々を支えたのは大将の言葉であり茶の心であった。「テクニックは表現方法のひとつに過ぎない。基本と人間さえしっかりしていたら大丈夫」。淡々と時間が過ぎていくなかで、師と仰ぐ三人が言っていたことは同じだと気付いた。そして、独創は真似ることからと自らに言い聞かせた。大将の十八番「鱧の炙り」から着想を得た、叩いてペースト状にした鱧をだしで溶いた「すり流し」は、『大渡』の夏のスペシャリテとして好評を博した。裏千家の初釜で供される茶菓「花びら餅」を解釈した新作「ちょっと雑煮」には、宗俊・宗新氏への哀悼と感謝が滲む。
「僕はこれからも三人の真似をし続けます」。大渡さんの言葉を反芻する内に、真似るとは、学ぶの語源であったことを思い出した。

[2011年1月6日取材]

生成の暖簾をくぐり、靴を脱いで上がる店内はカウンター8席のみ。手入れの行き届いた坪庭を眺め、心が落ち着いた頃、食事が始まる。
新年のコース料理から「ちょっと雑煮」。白味噌の椀の中に、餅と海老芋、ゴボウが入った「花びら餅」の再構築。
『津むら』で学んだ目利きを生かして仕入れた「特級品」の甘鯛。透き通るような桜色が蠱惑的。普通は釣り上げて氷締めするが、これはすぐに血抜きがしてあり、鮮度も味も格段に違う。
「最近は食材の保存温度にこだわっています」と大渡さん。温度の異なる冷凍庫はふたつ、空気冷却、壁冷却、氷と5種類の冷凍方法を使い分け、「熟成の違い」を楽しんでいる。
割烹「祇園 大渡」
住所 京都市東山区祇園町南側570-265
TEL. 075-551-5252
店を構える時、物件がなかなか見つからなかった。「焦りそうな状況なのに、不思議と落ち着いていた。必要な物は必要な時に訪れると分かっていたから」。茶の湯の教えがここにも。

[ 掲載日:2011年1月20日 ]