憧れの人と師匠、そしてイタリアの恩人

杉原 一禎さん
「オステリア・オ・ジラソーレ」オーナーシェフ

「ナポリ料理」を看板に掲げ、関西イタリアンの中でも確固たる存在感を持つ「オステリア・オ・ジラソーレ」。オーナーシェフ・杉原一禎さんが作り出す料理には、ナポリを中心とした南イタリアの、歴史的背景や文化をも感じさせてくれる味わいが多い。そんな杉原さんが刺激を受けた人は、4人いるという。

まずは、小西由企夫さん(現「エル・ポニエンテ」オーナーシェフ)。
それは、杉原さんの調理師学校時代に遡る。アルバイトをしていた苦楽園のスペインレストラン「ドス・シバリス」のシェフだった小西さん。「とにかく、小西さんは圧倒的な存在でした。パワーとエネルギーをどれだけいただいたことか。“憧れ”の一言に尽きますね」。その頃の杉原さんは、皿洗い担当だった。「お客様が残された料理をつまんで、なんて旨い料理を作る人なんだ!!って。この世にこんな旨いものがあるのかって、それは衝撃的でしたよ」。 ときには、「オマエ、ナスの花の色知ってるか?」など突然、質問されることもあった。しかし次、聞かれたときに答えていたいから、必死で調べる。そうすると、ナスの花の開花時期や、野菜という生命のエネルギーのサイクルなど、いろんなことが見えてきた。「小西さんは、フランスの料理書から仏教の本まで、いろんなジャンルの本を読んでいたし、とにかく勉強熱心でした。彼には、人間として、料理人としての本質を教わりましたね」。

その後、杉原さんは門戸厄神にあった「リストランテ・ペペ」に入ることとなる。杉原さんが師匠と仰ぐ料理人が、オーナーシェフ・平井利男さんだ(現「IL MONDO ひら井」オーナーシェフ)。
「平井さんに教わったこと全てが、今の自分の中にすり込まれていますよ」。例えば「味のメリハリ」。ひと口食べると、“しっかりした味だ”と感じるのだが、それは単に塩辛いのではない。「舌で感じる塩加減と、実際の塩の量をいかに反比例させるか?」なのだという。素材の特性を見極め、「いかに水分を抜いてから調味をはじめるか」など、素材の特性を見極めた、適切な塩のあて方を心がける。そして、「塩が利いていると思われても、後で喉が渇かない料理」を心がけているという。

「リストランテ・ペペ」で5年間経験を積んだ杉原さんは、愛媛の養豚場を経て渡伊。「物価が安いから」と選んだ地がナポリだったが、コネが全くない。だから杉原さんは、トラディショナルな店から最先端のイタリアンまで、ナポリ中のレストランを食べ歩く日々を送っていた。「いろんなイタリア料理を食べましたが、だいたい8割近くは再現する自信がありました。あの頃は調子に乗ってましたからね(笑)」。そんな折、衝撃を受けた店が、ナポリの古典料理を供していた「ラ・カンティーナ・ディ・トゥリウンフォ」だ。「この店で食べた、パスタに衝撃を受けたんです。魚を煮込んで裏ごしにしたソースが、パスタに絡むのですが、魚介が何なのか全く見当がつかなかった」。タダでもいいから働きたい…。そんな杉原さんの熱い想いが伝わり、その願いが叶うことに。「気づけば2年半も居座ることになりましたが(笑)」。
オーナーシェフだったトゥリウンフォ夫妻の「ナポリに対する偏愛がとにかく凄かった」と杉原さんは話す。南イタリアといえば、トマトや魚介を駆使するイメージだが、トマトが伝来する前の料理が、この店には多かったという。写真の「ルチャーナ風 タコの煮込みソースのリングイネ」も、この店のスペシャリテだ。リングイネに絡む具は、煮詰めることでドライトマトのようなコクが出たトマトソースや、噛むほどに旨みが滲み出る柔らかなタコ。また、アラブの影響を受けてナポリに広まった、レーズンや松の実も入る。
「最近はモダンなイタリアンが主流ですが、例えばこのパスタの場合、1人のアイデアじゃ成り立たない料理だと思うんです」。郷土料理とは、時代ごとにその時必要な影響を受け、それが蓄積されて完成したもの。100年後もナポリの料理書には載っているんじゃないかな、と杉原さんは話す。トゥリウンフォ夫妻との出会いがきっかけで、歴史的背景を受けて継承されてきたナポリの郷土料理を、杉原さん自身が偏愛することになったのだ。

最後に、「今までのいろんな経験が、彼のところで繋がった」と、杉原さんが話す料理人がいる。ソレント近く、ヴィコ・エクエンセにある「トッレ・デル・サラチーノ」のオーナーシェフ、ジェンナーロ・エスポージトさんだ。杉原さんは、ナポリでの修業後、彼のもとで約2年、経験を積んだ。 「ジェンナーロはびっくりするくらいの巨体なのですが、とにかく仕事が機敏。そして、デリケートさと品格を兼ね備えていました」。例えば、客が到着する前に、必ず敷地内に水を撒いておく指示を促す。「お客さんがやってくる10分前までには、水を撒き終えろって。僕は日本人だから、その感覚を理解して毎日水撒きをしていたんですが、イタリア人がそこまで気を使うのか!って驚きましたね」。
当時、労働時間はゆうに18時間を超えていた。しかし「労働環境は悪かったですが、彼の料理に対する情熱に胸を打たれましたよ。徹底的なまでのデリケートさ、丁寧さなど、物事に対する“考え方”は、独立した今も大変役立っています。彼とは今も、仲良くさせてもらっているんです」。杉原さんにとって、ジェンナーロさんは、戦友でもあり親友なのだ。

「憧れの人、師匠、トゥリウンフォ夫婦、そしてジェンナーロ。今思えば、それぞれの人に、適切な時期に知り合うことができ、その時にしか理解できなかったことが、今の僕の血と肉になっていると思います」と杉原さんは話してくれた。

[2011年6月20日取材]

「ルチャーナ風 タコの煮込みソースのリングイネ」(単品2200円/夜のコース5500円~でも提供)。
伊産のプチトマトを煮詰め、ニンニクやタコ、松の実やドライレーズンなどを、炒めずにそのまま入れ、火にかけてソースに。「ナポリのことわざに、“タコはタコの水で茹でろ”という言葉があります。要するに、生のタコは下茹でなどせず、タコそのものの旨みを凝縮させるんです」。そして、郷土料理には「乳化」という概念がない。分離した油で見た目はオイリーだが、油っこさは無く、各素材の凝縮感のある旨みがじわりと響く。
「オステリア・オ・ジラソーレ」
住所 芦屋市大原町4-12 ビューコート芦屋 1F
TEL. 0797-35-0847
2007年に、JR芦屋駅近くへ移転。ゆったりとしたテーブル16席のほか、店奥には厨房を見渡せるカウンター4席も。

[ 掲載日:2011年6月28日 ]