鍛え上げられた修業時代「京料理 まる多」丸田 明彦氏

吉田 修久さん
「京料理 修伯」店主

京都・下河原、八坂の塔の側に店を構える「京料理 修伯」。開店して9年が過ぎた今も、日本料理の確かな技術を礎に、洋の素材や演出を加えた柔軟な試みは、食べ手を魅了させ続けている。
店主の吉田修久さんは高校卒業後、フレンチのコックとして、料理人人生をスタートさせた。「高校を出た頃は、日本料理や懐石料理などといった言葉は、聞いたことがありませんでした。滋賀で育ったという環境もあり、ただ漠然と流行りで洋食の世界に憧れて(笑)」。
京都市内のフレンチレストランで働き始めた頃、料理専門誌などで日本料理の存在を知ることに。「当時、『菊乃井』村田さんが営んでおられる木屋町のお店をはじめ、後に働くことになった『京料理 まる多』にも食事に伺いましたね。それまでは自国の料理について考えたこともなかったのですが、日本料理という存在を知り、美味しいなぁって感じ始めた頃でした」と吉田さん。24歳の頃、『京料理 まる多』店主の故・丸田 明彦さんの「日本人やったら日本料理をせなあかんやろ」という言葉を受け、吉田さんはさらに日本料理を深く考えることになる。そして、たまたま欠員が出た同店で修業を積むことになったのだ。

『京料理 まる多』で過ごした7年間は、「今では考えられないほど、とにかく厳しい世界でした。手が出るなんて当たり前」と吉田さん。「おやっさんが、こうや!と言いはったらそれが当たり前の絶対主義。例えば、言われたことを一生懸命やって失敗したとするでしょう。そうしたら“やらなかったほうが良かったんや”とばっさり。要するに、最後まで一生懸命やるのなら、結果を出さないとアカンというスタンスだったのでしょう」。その考えを今でも持ち続けているという。
丸田氏からは、仕入れの極意も学んだ。「いかに無駄を出さないように、いいものを仕入れるかを要求されましたし、勘定はだいたい僕にまわってきましたから」。そのためには、素材の特徴や料理の完成系を把握しながら、注文をしないといけない。料理人、そして経営者としての基本を叩き込まれた。

調理場の丸田氏はというと、独り言をいいながら料理について考え込むことが多かったという。「たとえば生ものが食べられないお客さんが突然来店された場合、“さぁ何を出そうか!”と、おやっさんはスタッフ全員にアイデアを出させるんです」。丸田氏の頭の中ではすでに料理が決まっていたのだろう。しかし丸田氏は、全スタッフにアイデアを聞いてまわる。瞬時に答えを出すには、扱う素材はもとより、コースの内容、提供の流れなど、全てを把握しなければならない。求められるその一瞬の判断力を、吉田さんは「毎日がまるで大喜利のようでした(笑)。おやっさんからOKが出れば、自分自身のレベルアップにも繋がりましたから。そのような思考は、今でも役立っていますよ」。吉田さんは、ポジティブさと柔軟さを忘れずに、修業の日々を送った。

その柔軟さは独立後に開花する。「京料理 まる多」で培った技術を礎に、ときには出汁で炊いた白アスパラガスに低温調理を施したフォアグラを添えるなど、従来の日本料理にはなかったスタイルも確立。ワゴンスタイルで供するフレンチ並みのデザートは、コースの最後に好きなだけ選んで食べられるという演出も。

日本料理の基本をしっかりと身につけ、柔軟に新しいものを取り入れる。そして、智恵と工夫で古いものと調和させながら、今の時代にあう美味しさを追求し続ける吉田さん。師に導かれた道から独り立ちして9年。日本料理の精神と文化を伝承しながら、斬新な発想で日本料理の楽しみを発信し続ける。

[2011年7月15日取材]

檜のカウンターが清々しい店内。昼のコースは5000円~、夜のコースは1万円~。
「京料理 まる多」でも供していたという「鮎の骨抜き焼きのお寿司」。
焼いた鮎の骨を抜き、身に酢飯を詰めたお料理。美しく抜かれた骨は素揚げにし、バリバリっと小気味よい食感。鮎特有のほろ苦さや香りが移った酢飯も秀逸だ。そして、大葉酢のさわやかな酸味でさっぱりといただける夏ならではの味わい。
「京料理 修伯」
住所 京都市東山区金園町392
TEL. 075-551-2711

[ 掲載日:2011年7月25日 ]