確固とした基準となる師匠の存在

髙畑 均さん
日本料理「太庵」主人

大阪ミナミ、島之内にある日本料理「太庵」は、髙畑均さんが34歳になる2000年に独立して構えた店だ。2011年には、ミシュランの三つ星を獲得している。

髙畑さんは大阪市生まれ。高校卒業後、大阪の名店「味吉兆」に入り、料理修業を始めた。それから15年、ひとつの店で勤めあげての独り立ちである。だから、師匠はまさに生涯ただひとり、「味吉兆」の先代店主、中谷文雄さんという。

「私が雇われたとき、師匠の中谷さんは70歳代、すでに名料理人の誉れ高い頃でした。幸運なことに、二代目となるご子息の中谷隆亮さんにも教えを受けました」

「味吉兆」は「吉兆」の創業者、湯木貞一氏から暖簾をわけられた店である。高校を卒業したばかりの若者が調理場に入ったならば、人並み以上の努力を要したことと思われる。けれど、髙畑さんは「料理は自分の性格にあっていたんでしょう」と話す。「基本は繰り返して覚えていかなければなりませんが、作るものは常に異なるのですから、何をするにしても飽きることなく続けられたのです」と。

それに「師匠は懐の深い人でした。自分の仕事をしながら、一人ひとりを見守ってくれていたのです。どこか頭打ちになっていたら、的確に導いてくれる。後日に“ええやん”と声をかけられて、どれほど力づけられたことか」と、振り返る。

また、師匠はよくつぶやいていたという。「お客さんに喜んでもらうには、こうしたらどうやろかなどと、考えを口にだして話すのです。私たちに自問自答を聞かせていたようです」それを聞くたび、師匠ほどの人でさえ、なお考えようとしている姿に、自分はまだまだ修業が足りないと思わされるのだった。

周りで働く先輩たちは、将来を嘱望されている、いわば吉兆の伝統を引き継いでいく料理人ばかり。生きたお手本が身近に多くあるのだ。環境自体が刺激になったはず。髙畑さんは自ずと何事もポジティブに考えるようになっていたという。

「結局、能力は、自分で成長させていかねばならないのです」。年を重ね、経験を重ねていくほどに、習得できたことが増えていく。まるで、ひとつひとつのピースがおさまり、はめ絵を完成させるように。そうして、髙畑さんは、自分なりに理解できたことを系統だてて整理し、日本料理を会得していった。

しかし、独立したからには、独自性も求められる。また、新たな挑戦の始まりだった。「基本は、吉兆の確立された日本料理。それは、理想のスタイルでもあります。けれど、別の仕方もありえると思うのです。昔に比べ、食材は選べるほど豊富だし、調理方法や器具だって新しくなっていくし、いろいろ使えますから」

「太庵」では、カウンターの端に炭火の焼き場が設けられている。コースの焼き物は、すべてそこで焼いて供される。ときには、イベリコ豚やスペアリブなど従来の日本料理にはない食材が料理され、店のスペシャリティとなっている。

「とりあえず何でも、自分の思うまま始めてみるのですが、いつも立ち戻るのは、師匠なら、どう使うかどのように料理するだろうかというところ」と、髙畑さん。

日本料理らしさの枠に縛られず、新しいことに挑戦していくとき、髙畑さんには確固とした判断基準があるのだった。炭火の焼き場も、その基準にかなうひとつだったのだろう。そうして、大きく逸脱せず、新しい日本料理の可能性を探る。

確かな基準のもとで挑戦される結果は、三つ星という高い評価が物語っている。

基本にあるのは、変わらぬ「だし」

髙畑さんの料理の味の基本になるのは、昆布と鰹節でとるだし。「師匠に教わっただしですが、こればかりは、変えようがありません」と、毎日必ず作るという。
昆布は、函館産の真昆布。鰹節は、枕崎の近海でとれた鰹で作られたもの。削り節は、毎日節から削って使う。

[2012年8月11日取材]

店内は、カウンター席とテーブル席ひとつのシンプルな構成。カウンターの右端に見えるのが炭火の焼き場。
店内に置かれていたミシュランマン。エプロンには星が三つ刺繍されている。
鹿児島県枕崎でとれた鰹から作られた鰹節。脂肪を切り落とし、三枚におろしてから舟形に整形加工されている。
節から削ったばかりの削り節。口にすると、湿った身の感触と鰹の匂いが同時に蘇る。この削り節を煮たせてとるだしと、昆布でとるだしを混ぜて使うという。
日本料理「太庵(たいあん)」
住所 大阪市中央区島之内1-21-2 山本松ビル 1階
TEL. 06-6120-0790
営業時間 17:30~22:00
定休日 月曜日

[ 掲載日:2012年8月20日 ]