料理の世界へ導いてくれた、母と2人のおやっさん。

今川 岳さん
「靭本町がく」主人

2013年春、大阪・靭公園近くに暖簾を掲げた、『靭本町がく』の主・今川岳さん。浪速割烹「㐂川(きがわ)」にて修業を積むまでは、「飲食店での修業経験がゼロに等しかった」という。そんな彼が、料理に目覚めたきっかけのひとつは、母であり料理研究家の今川れい子さんである。

「母は、和洋中・エスニックまで、多岐にわたるジャンルの料理教室を今も開いています。慌ただしい日々のなか、例えば、味噌汁には昆布とカツオからとっただしを使うなど、家族が食べるものにも決して手を抜かなかった」と、幼少時代を振り返る。また、誕生日やクリスマスなど、家族の大切な記念日に外食はしなかった。なぜなら母・れい子さんがかならず、ハレの日の料理を振る舞うから。「僕も母と同じように、家族の記念日には家で料理をします」と今川さん。幼い頃からの舌の記憶の蓄積、さらには母に学んだ大切な人への気遣いが、彼の礎となっている。

お母様に連れられて出向いたお店が、四天王寺『天神坂 上野』(閉店)。大学中退後、この先何をしようか悩んでいたとき、上野修三さんという存在を知る。「カウンター前で、筍を焼いたり鯛の子を炊いたり。そんなライヴ感のある技を目の当たりにし、“料理が好きかも”と考えるように」。すぐさま雇ってほしいと懇願したが、空きはなかった。「それなら、息子の店に入ったらどうや?」と上野さん。かくして法善寺横丁『㐂川(きがわ)』の門をたたくこととなる。

「知識も経験もないまま入りましたから、とにかく分からないことだらけでした。裏ごしをやれ、と言われても、やり方が分からない。鍋の磨き方から教えて頂きました」。そう微笑する今川さんが、影響を受けた料理人のひとりが、㐂川(きがわ)の二代目・上野修さんだ。「一番印象的だったのは、おやっさんの所作です。ひとつひとつの仕事が美しく、とにかく綺麗好き」。割烹の醍醐味である臨場感を五感で愉しむカウンター席を配するため、客の目に留まらない場所に至るまで、美意識が貫かれていたという。また、「おやっさんは、小言を言う方ではありません。だから、何を用意しておいたら先輩やおやっさんが動きやすいのか?また、脇板はおやっさんの何を見ているのか?といった阿吽の呼吸を、とにかく“見て覚える”ことに必死でした」という。何かを言われる前に動く。この“気遣い”は、仕事の同志だけでなく、お客様へのサービスにも繋がることだと今川さんは話す。

先代の上野修三さんにも今なお刺激を受けている。「天神坂のおやっさんは、並大抵ではない知識力と探究心をお持ちです」。その影響もあってか、今川さんは、セロリの一種である「セロリアック」や、「フィンガーライム」など、目新しい食材を見つけては料理に取り入れる。また、「天神坂のおやっさんが、ウチの店へ来られた際、味付けに関しては、いいものはいい。僕自身、自信がないものには、ズバッとアドバイスをくださる」とも。今川さんにとって、2人のおやっさんから学んだことが、今なお血となり肉となり続けているのだ。

「㐂川(きがわ)」で9年修業をした後、今川さんは、「やったことがないことに挑戦したい」と、堺筋本町にあるビストロ「ル・ヌー・パピヨン」で1年強、マネージャーを勤めた。「㐂川(きがわ)」も肉や洋の食材を使う店だったが、さらにそのあたりの目利きに磨きがかかった。さらにはワインの知識もとことん頭に叩き込んだ。

自店を開き、1年が過ぎた。店では、約70品もの単品料理とおまかせコースを、今川さんと調理スタッフの2人でこなしている。「僕は、ストイックな料理人ではありません。けれども“絶対に手は抜かない”」。営業中はもちろん、仕込みから片付けまで、全てにおいてそれは言えるという。今まで出会った、人生の輩から学んだことを、今川さんならではの料理、そして店づくりへと昇華させている。

[2014年4月3日取材]

「食材選びや味付けの基本は、修業先である㐂川(きがわ)のスタイルを踏襲し、僕好みの薄味の料理も供しています」と、店主の今川岳さん。備長炭でじっくり焼き上げる「貝塚・木積産の朝採り筍 1900円」など地の素材はもとより、「岐阜美濃のポークロース 1800円/150g〜」の熟成肉なども用意。
「靱本町がく」
住所 大阪市西区靱本町1-14-15 本町クイーバービル
TEL. 06-6479-3459
営業時間 17:00〜22:00 L.O.
(季節のおまかせは、21:30 L.O.)
土・祝前日〜23:00 L.O.
(季節のおまかせは、22:00 L.O.)
定休日 日曜、祝日
公式サイト http://www.utsubo-gaku.com

[ 掲載日:2014年5月7日 ]