泉州の刺激が勢いのエキス

和食を、広い意味で日本独自の料理とすれば、今やその前線に立って世界へ進出し、さらなる和食の深遠さを知らしめているのが日本のラーメンだ。国内では、ラーメンもうどんも同じ麺類として親しまれているけれど、戦後インスタントラーメンから始まったとされるラーメンの、現在までの凄まじい進化は誰もが認めるところ。ちなみに、タウンページで検索すれば、全国のラーメン店は30793件、全国のうどん店は23670件という結果。数のうえでもラーメン人気がうかがえる。
ラーメンは、ひとつの器で、スープ(だし)・主菜(具材)・主食(麺)を同時に味わえることから“料理の小宇宙”とも称される。うどんのつゆがスープ=だしなのに比べ、ラーメンの場合、スープ(だし)はタレ(かえし)と呼ばれる別の濃縮だしや香味油などを合わせて作る。そうした各材料の組み合わせによってバリエーションが多様に生み出され、ラーメン小宇宙に無限の広がりをもたらすのだろう。
松原龍司さんが「龍旗信」を起ち上げたのは2001年、32歳のとき。「数年前に旭川ラーメンや和歌山ラーメンなどの“ご当地ラーメン”が生まれ、続いてレベルの高い店主の個性的なラーメンに再び注目が集まるような、そういう時期でした」
「私もとにかく、他人の真似はしないで、独自の味を創作するのだと、意識を高めて取り組んでいました」その結果、松原さんが辿り着いたのは、塩ラーメン。今も龍旗信のベースとなっている「伊勢湾産の天然ムール貝から取る濃厚な塩ダレ。鶏ガラや野菜で取る澄んだスープ。具材の臭みやアクを抜き独特の風味を出す自家製干しゴボウ。スープに深みを出す天然岩塩」という組み合わせだ。
塩ラーメンの出現は、醤油系や味噌系に替わり得るほどのインパクトを与え、塩ラーメン専門、ご当地でいえば堺ラーメンの「龍旗信」は、たちまち人気店になった。現在は、堺市にある大阪総本店をはじめ全6店舗の展開に加え、ロンドンに出店を果たす。今年度は、さらにイタリアのミラノにも出店予定の勢いである。
しかし、人生の転機となった塩ラーメンに至るまでは、波瀾万丈。今なら微笑ましく聞けるエピソードなんて、数知れずあるという。「でも、ここまでやって来られたのは、泉州で育ったおかげなのですね」と、松原さんは振り返る。
1歳の頃から(高校卒業後4年間の会社員時代を除いて)暮らしている泉州は、松原さんの故郷だ。実家は、泉州織物で知られるニット関係の工場を経営。幼なじみの親に多いのは、玉ネギ、キャベツ、水ナスなどの生産者、泉州沖でワタリガニなどを捕る漁師という。「周りの、泉州モノやそれらに関係する人達に何かしら刺激を受けていたのでしょう。親の仕事を継いで地元に残る子も少なくないし、お互い年を重ねるほど繋がりは強くなり、いつも刺激しあってますよ」
松原さんが20代で事業を始めるとき、選んだ職種はラーメン屋だった。「泉州は食材の宝庫と刷り込まれていますから、食に関係する仕事なら何とかなると思ったのかな」その結果は、惨憺たるもの。「修業も勉強もせず、ましてや、あの頃(1990年にかかる頃)のラーメンの新しい動きも知らないで、うまくいく訳がありませんよね」といっても、故郷である泉州から逃げ出すことはできない。
それから10年。流行のラーメンを研究し、地元・泉州産の食材を使うことで野菜や魚介の生かし方に習熟し、独自に塩ダレと澄んだスープをマッチング。塩ラーメンという新しい道を開いたのである。「店に行列ができるようになれば、周囲の見る目も変わってくる。有名ラーメン店の主人も食べに来て、味をほめてくれる。そうなると、自信もつけていくのですね」と松原さん。
そうして、さらに15年。以前より増したであろう泉州のさまざまな刺激を受けつつ、龍旗信のラーメンは変化しながら成長を続けている。「2年前、鶏白湯スープに手を出してしまい、塩ラーメンの老舗にはなりそこないましたよ」と笑う。
松原さんに話をうかがうと、味への追求、表現の仕方などラーメン特有のスタイルがあるとはいえ、ひとつのかたちを極めていく姿には、やはり日本的な料理なのだろうと感じさせられるのだった。
「龍旗信」の松原龍司さんが出演した関西食文化研究会のイベント
「ラーメンのスープ研究」レポート公開中
詳しくはこちらをご覧ください。
[2015年3月26日取材]




住所 | 大阪総本店 大阪府堺市西区津久野町1丁9-15 |
---|---|
TEL. | 072-274-4015 |
営業時間 | 昼/11:30~15:00 夜/17:30~深夜0:00 土・日・祝/11:30~深夜0:00 |
定休日 | 元旦 |
公式サイト | グループの各店舗案内はHPをご覧ください。 http://www.ryukishin.com |

[ 掲載日:2015年4月3日 ]