叱咤と激励の嵐の後に見つけた“ことば”

神戸元町の中華街“南京町”にある『元祖ぎょうざ苑』は、昭和26年(1951)の創業。味噌だれで食べる餃子を始めた店として知られるけれど、創業者が中国から帰国後に旧満州で親しんだ味を再現してつくった餃子こそ魅力の源である。その餃子と味噌だれを頑なに守りながら、神戸らしさを追求するなど努力して評価を高め、今日の繁栄をもたらしているのが、三代目の頃末灯留(ころすえ とおる)さんだ。
「物心ついた頃には、店の厨房で何かしら手伝いをさせられていました」そう話す当時の1970年代は、初代の祖父と二代目の父が並んで餃子をつくっていた。店の周辺は、中華街へと変貌する前の未整備なままの状態だった。でも、混沌としたなかにも活況と活気を感じる環境で育てられたのを覚えているという。
二代目については「父は個性が強すぎました」と話す。「うちの餃子のキャラクターを確立させ、店の評判を良くしたのは尊敬していますが、名物親父になるにつれ、好き放題していました」例えば、店を開けるのは気分しだい、行儀の悪い客には叱るという調子だったそうだ。その父が亡くなり、母と共に店を継いだのは20代後半のとき。三代目になった当初「その頃の常連さんは、まるで父と同じ。お前のつくる餃子は親父の味とは違うなんて、よう叱られました」と振り返る。
「祖父と祖母、父と母、それぞれつくるのを間近で見ているし、味も覚えているのは僕だけです」そうした経験に加え、周囲の声にも耳を傾け、誰もが認める店の味にするための格闘が始まった。その矢先、あの阪神・淡路大震災である。
「半壊した店で、お客さんが差し入れてくれたプロパン・ボンベを使い、水餃子をつくり、しのいでました」という状態が1年近く続いた。再び、大きな転機である。「励ましてくれる人もいて、それまでの全てを受け入れ、改修して店を再開することにしたのです」以来、餃子をつくるにしても、料理人として、店の経営者として、自分はどうあるべきかを考えるようになったという。
神戸で餃子をつくる仲間に加え、他ジャンルの料理人とも積極的に関わるようにした。真剣に向かえば、料理人は皆、真摯に応えてくれた。「修業したこともないので、声をかけてもらい教えられるのがうれしく、ありがたく思いました」
そうして心に届いた言葉、さらに補強するように読み漁った本から得た言葉、お客さんの叱咤と激励の言葉も含め、改めて思えば、いろんな言葉が刺激になっていたと話す。なかでも、といって挙げてくれたのが3つある。
ひとつが、歌手の河島英五が生前のライブで客席に向かい語りかけた言葉「先人の行く跡を行かず、その志す処へゆく」。「先代のしてきたことを継ぐだけでなく、自分なりにどうすればいいか勉強もし、考えていたときに見つけたので、これでいいのだと、励まされました」
もうひとつは、本のタイトルで『あなたのお客さんになりたい!』(中谷彰宏・著)。「書棚で見つけたときは、これだと。こういう毎日でありたいと、本を一所懸命に読みました。サービス業の心得とは何かを学ばさせてもらいました」
そして、もうひとつは、バイブルのような本である。松下幸之助の随筆集『道をひらく』。「仕事というより生きていくなかで、何か感じることがあるたびに頁をめくっている本です。自分には与えられた道があるとか、目を見開かせてくれる文章が随所にあって、長い年月にわたって読み継がれているのもわかります」
震災から10年経って、ようやくこれでやっていける、そう思えたと話す頃末灯留さん。そして、それから10年、味噌だれは変わらないし、餃子も見た目は変わらないけれど、時代に合った味になるよう工夫しているそうだ。最近には、あんに神戸ビーフが加えられている。餃子ひとつ、その志す処へゆくのである。
[2016年9月1日取材]




住所 | 神戸市中央区栄町通2丁目8-11 |
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TEL. | 078-331-4096 |
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営業時間 | 昼/11:45~15:00(L.O.) 夜/17:00~20:30(L.O.)※21時閉店 |
定休日 | 月曜日(祝日の場合は振替) |
公式サイト | http://www.ganso-gyozaen.co.jp |

[ 掲載日:2016年9月13日 ]