『エノテカ ピンキオーリ本店』
マダム・アニーの存在

村田 卓さん
a canto ア カント 」オーナーシェフ

「イタリア人は、普段何を食べているんだろう…?」
素朴なギモンが、村田 卓さんの人生を変えたといっても過言ではないだろう。それは関西に“イタ飯”ブームが到来した1990年前半のこと。
三ノ宮のトラットリアでの修業後、「イタリアに最も近いレストランだと直感し」、銀座『エノテカ ピンキオーリ 東京店(閉店)』の門を叩く。約3年もの間、力の限りを尽くし働いたが「仕事のレベルが違いすぎて…」、実は村田さん、半ば逃げるくらいの勢いで退社したという。しかし、イタリア人の暮らしのなかにどっぷり浸かる夢は、諦めずにいた。知人シェフの伝手を辿り、渡伊の兆しがみえてきたある日。「相当、ご迷惑をおかけしたお詫びと、イタリアへ渡るご報告を」と、『エノテカ ピンキオーリ 東京店』を訪ねた。律儀な料理人である。店にはフィレンツェにある本店から来日中の、マダムであり総料理長アニー・フェオルデさんの姿が。スタッフの取り計らいもあり、本店の人員に空きができることを知る。「スタッフひとりがヴァカンス前に辞めるから、アナタ、本店にいらっしゃい」と、アニーさんが村田さんに一言。「申し訳ない辞め方をした私で良いのだろうか?」。おそらく、マダムは彼の真摯な姿勢を見抜いていたのだろう。トントン拍子に事は進み96年9月、フィレンツェ『エノテカ ピンキオーリ 本店』での修業がスタート。気づけばトータルで6年半、この店で研鑽を積むことになる。

「あの日、マダムと出会えていなかったら、今の私はないです」。
同じ失敗や挫折を繰り返さず、本店で料理人として生き残るには…? 自信があったわけでもなく、不安と期待が入り混じる毎日。しかし、村田さんにはひとつだけ強い信念があった。“いつしかパスタ部門を担当したい”と。でも、スタートはドルチェ部門のコミ(見習い)で、シェフと2人きりの毎日。9月のハイシーズンにはひと晩で100人分以上のドルチェや小菓子を作ることも。「早く!そして美しく!を常に心がけていました」。東京での修業時、食材を美しく切り揃えるといった緻密な下処理や、在庫確認の徹底など、任された仕事は丁寧に、そして素早くこなした。日々の鍛錬が功を奏したのか、半年後、パスタ部門のシェフの元で、コミとして働くことになった。「パスタ部門シェフのドメニコは、イタリア人らしからぬ物静かな男でした。だけど、現地で出会った数多のシェフの中で、5本の指に入るセンスと実力の持ち主。パスタの味は抜群でしたね」。例えば、まかない。アンティパストとセコンドはそれぞれの部門シェフが持ち回りで担当するが、プリモ(パスタ、リゾット、スープ類)はドメニコが毎日、昼夜40人前作る。それくらいイタリア人にとってプリモは重要な位置付けなのだ。「シチリア出身のドメニコは、手間のかかるアランチーニを作ってくれたことも。また、ミネストローネやパスタに使う牛ラグー、トマトソースといったシンプルな味も、えもいわれぬ深い味わいでした」。たとえリストランテの名シェフであっても、根底には生まれ育った土地で、家庭で、繰り返し作るなかでうまれた定番の味・そして理に適ったマンマの味が身に付いている。村田さんは日々、ドメニコはじめスタッフたちと接することで、イタリア人の根っこにある感覚的なものを習得することができた。

今もなお、ミシュラン三ツ星を獲得し続けている『エノテカ ピンキオーリ本店』だが、オーナー・ピンキオーリ氏と総料理長・アニー夫人が醸す空気も印象的だったという。ヴァカンスやクリスマスの前には、40名近いスタッフにプレゼントが手渡され、日々の労いをとコース仕立てのまかないが出たという。「リストランテの最高峰でありながら、じつはとてもアットホーム。アニーさんは下っ端の私にも常に声をかけてくださったり。スタッフたちを見守ってくれている温もりが、この店にはありました」。
3年半、オーナー夫妻やスタッフ達と苦楽を共にし「イタリアの北から南まで、いろんな土地の文化を学びたい」と退社。トラットリアやリストランテなど3軒で働いた。「イタリア修業の仕上げとして、できればもう一度、高級レストランで働きたい」。そう思っていた矢先、03年5月に全面改装を終える『エノテカ ピンキオーリ本店』から、再び声がかかったのだ。「なんと“パスタ部門のシェフが抜けるから、帰ってこい”と。顔なじみの主要メンバーが出迎えてくれたあの日の喜びは、忘れることができません」と村田さんは顔を綻ばせた。

3年間、パスタ部門のシェフとして活躍し2006年帰国。イタリアへ渡り10年の歳月が流れていた。その後、大阪の名イタリアン『ピアノピアーノ』の支店シェフを務めた村田さんは18年5月、谷町四丁目に『ア カント』をオープンする。「プリモは作りたてならではのおいしさがある」と麺は打ちたて、ラヴィオリは詰めたてを徹底。「パスタ部門のシェフを務めていた頃よりもおいしい皿を」と日々、味と技をブラッシュアップさせる。逆に変えないこと、とは? 「食材を重んじることですね。ロスや無駄は出さない。野菜なら葉から根っこまで使い切る。ラヴィオリの端っこは捨てずに練り直し、マルタリアーティ(三角形やひし形をした平たいパスタ)や賄いパスタに仕立てる。捨てたら、パスタの神様に怒られますから(笑)」。パスタをこよなく愛するシェフはそう言い、目を細めて微笑んだ。

[2019年7月16日取材]

村田 卓さん。イタリアではフィレンツェ『エノテカ ピンキオーリ本店』をはじめ、マルケ州、ピエモンテ州、カンパーニャ州のトラットリアやリストランテで経験を積んだ。
店内はカウンター7席、テーブル2席(最大4席)。リストランテ修業が長い村田さんだが、お客さんの表情がダイレクトに伝わる、カウンター席は設けたかったという。パスタマシーンの音が聞こえるフロアで、食べ手とのコミュニケーションを大切にする。
「a canto」
住所 大阪市中央区内久宝寺町3-1-10
TEL. 06-7175-6383
営業時間 17:30〜23:00(21:00LO)
定休日 水曜
コース 季節のおまかせコース8800円(全8品)※税別

[ 掲載日:2019年8月20日 ]