父の存在。

ロゼ色した断面が美しいビーフヘレカツサンドを頬張る。すると、焼きあがった食パンの素朴な風味とともに、柔らかなヘレ肉の旨み、ソースの爽やかな酸味と深いコクがじわり。できたてを頬張るのも堪らないが、冷めてソースがパンに染みた頃合いもまた美味である。「ビーフヘレカツサンドは、先代である祖父が洋食屋を開いた頃から、メニューに載せていました」と快活な表情をみせるのは、主人・二井靖之さん。
1961(昭和36)年創業。新世界の老舗洋食店『グリル梵』を生家にもち、大阪・堂島と東京・銀座で、ビーフヘレカツサンド専門店『新世界 グリル梵』を展開する二井さん。料理人一家に生まれ育った彼が、刺激を受け続けてきた人とは。「やっぱり親父の存在でしょうね」。
『グリル梵』の前身は、神戸のオリエンタルホテルで西洋料理を学んだ初代・二井清さんが1950(昭和25)年に大阪・新町で開いた『レストラン二井』。「当時、祖父はレストランウェディングも行うなど、幅広く展開していたようです」。しかし諸事情あり差し押さえに遭う。「父が大学4回生の時だったと聞いています。先代は新世界へと移り、骨董屋を営んでいましたが一念発起し」、フランス語で“美味しい”という意味を持つ「ボン」を屋号に掲げ、『グリル梵』を開業したという。その10年後、お父様が店を手伝い始め、後に店を継ぐことになる。
「派手にビジネスを広げていた祖父と違い、父はとにかく真面目そのものでした」。そう話す二井さんは、大学卒業後、ゼネコン会社に就職。社会人になっても週末には、父の仕事を手伝った。「昭和の男ですから、何も教えてくれやしない(笑)。“好きにしたらえぇ”の一辺倒だから、技を盗むしかない」。二井さんはサラリーマンの身ではあったが、将来を見据え、父のもとで懸命に働いた。
「お客様本意じゃないのも父らしかった」。原材料にしっかりとお金をかけ、自信を持って洋食を出していた。だから、一口目からドボドボとソースをかけて食べるお客さんに物申すこともあったようだ。「まずは素材本来の味を知って欲しかったんでしょう。“いいもんを出さないとお客さんはついてこない。だから媚びは絶対に売らない”と言ってましたね」。
そんな父の背を見続けてきた二井さんは、家業の手伝いのみならず、オペレーションを学びたいと『ロイヤルホスト上本町店』でバイトすることもあれば、一流のサービスを学びたいと『ザ・リッツカールトン大阪』の宴会の飲料部門でのバイトも経験。サラリーマンを続けながら、である。そして、30代も後半に差し掛かるタイミングで独立を決意した。
2005年、新地の目と鼻の先、堂島の雑居ビル3Fに『新世界 グリル梵 堂島店』を開業。フードはビーフヘレカツサンドのみ。一点主義を貫くきっかけは、地元・堺にあった。「老舗和菓子店『かん袋』のくるみ餅が、僕の中のビジネスモデルでした」。
ビーフヘレカツサンドのベースには祖父である初代のレシピがあるが「重たくないあっさりとした味」を心がける。たとえば肉。「サシ入りは、冷めると脂が固まり食べにくいから」と、豪州産のヘレ肉を使う。下処理の段階で、白い筋は丁寧に削ぎ取る。「この作業を怠ると筋が口に残り、柔らかな食感が台無しに」。そのヘレ肉にまとわせる卵液は、先代のレシピ通り、エダムチーズやナツメグを加える。衣自体に風味が付き、味わいに膨らみが出るのだ。ヘレ肉の火入れにもコツが。揚げること2分半~3分弱。その後、同時間冷ますことで、余熱により肉汁を閉じ込め、中心はレアな仕上がりに。トーストしたパンも同様、粗熱を取ることでカットした断面が熱で潰れるのを防ぐのだ。ソースは秘伝だが、まろやかなコクと爽やかな酸味が印象的。「できたてはもちろん、冷めても旨い」と新地の夜の世界で、たちまち話題に。ラウンジやクラブへのお持たせはもちろん、手土産としても重宝されている。「ゼネコン時代の先輩が口コミで広げてくれたおかげです」と二井さんは当時を振り返る。2010年には、東京へ進出。「肉といえば豚。そんな東京の方々にもビーフヘレカツサンドの美味しさを知ってもらえたら」という思いがあった。場所は東銀座・新橋演舞場通りゆえ、楽屋見舞いの定番として受け入れられた。ビフカツという大阪ならではの文化を、東京で根付かせたキーパーソンの一人。二井さんのことをそういっても過言ではないだろう。
「ビーフヘレカツサンド専門という、単品最強伝説を作る」。
独立のとき誓った思いが今、現実のものとなり、さらなる展開へ向けチャレンジは続く。
[2020年12月8日取材]撮影・文/船井香緒里



住所 | 大阪市北区堂島2-1-34 3F |
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TEL. | 06-6347-5007 |
営業時間 | 11:30〜14:00、17:00〜翌1:00 |
定休日 | 土曜、日曜、祝祭日 |

[ 掲載日:2020年12月22日 ]