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「人・街・店×PRODUCER」Program 1:講演:「関西の外食の未来を語ろう~おもしろいことになりそうだよ」 1/2
Program 1:講演:「関西の外食の未来を語ろう~おもしろいことになりそうだよ」 1/2
講師紹介
(スライド写真とともに講演されましたが、以下は講演の一部を割愛させていただき編集した記録原稿であることをご了承ください)
僕は、料理人ではありませんが、「食べること」の傍にいました。食べ物屋の生まれなんです。曾祖父が大正時代、京都大学の横に「グリル オアシス」という店をやっていて、僕が生まれた時は菓子屋でした。その僕が、1995年12月13日に一軒のカフェを大阪の南船場にオープンするようになるんですけど、なぜそのカフェを始めたかということから、食へのめりこんでいって今日まで「これからもこの仕事をやっていきたい」「よい仕事に就けてよかった」と思っていることをお話しできたらなと思っています。
これは半年ぐらい前、日本を代表する大きな某設計建築会社さんが佐藤のやっていることは面白そうやから一回話してくれといわれてつくった資料です。「街をつくるとは、街を遊ぶこと」。街をつくるのが都市計画みたいに頭の中だけでつくったものであるならば、多分そこに人が介在していかないんじゃないかと、何となく僕が思っていることなんです。街は結局、自分で遊んで自分で生きてこそ、わざとそういう形でぶつけてみました。
僕は24歳で会社をつくり、アパレルをやっていましたが、27歳で手放しています。それから5年間、32歳までは借金を返すことにほとんどを費やしました。27歳で一旦、何もかも失ったんです。家も失い、会社もお金も信用も失ったけど、一番厳しかったのは希望、もしくは自分の目標を見失ったことです。27歳までは僕は明確に「お金」というものを目標に置いていました。「お金を稼ぐと幸せになれるんだ」と思っていました。当時はまあまあいい感じやった。年収もまあまあ、同級生の10倍くらいはあったと思います。でも、振り返ったら何も幸せじゃなかった。何か知らんけどお金のことばっかり考えて、スタッフが幸せかなんて多分あまり考えていなかったんですね。今から見たら、もう気が狂ったような会社だった思います。じゃ、何を目標に生きていけばいいんだろう。とりあえず借金は返さないといけない。やらないといけないことはあったけれど、目標はなかったんです。
ところが、阪神・淡路大震災が起こるわけです。1995年1月17日でした。とんでもない、想像もできなかったことが起こりました。当時僕は大阪に居て、直接の被害は免れました。けれど神戸で仕事をしていましたから、地震が起きて10日くらいだったんですが、お粥の炊出しを始めました。お粥一杯100円、利益は出ませんけど100円でお買い上げいただきました。その時、幸せや希望、家族や家や住むとこ、仕事、すべて失った、どうしたらいいかわからない途方に暮れた方々が集まってくださって「生きててよかった。がんばろうな」って。「がんばろう」といってがんばるしかない状態でした。その時、僕は一杯100円のお粥を出しながら「がんばりましょう」「ありがとうございます」っていいながら、何か訳のわからないエネルギーが体から湧いてきました。みんなが希望を失っている時に不謹慎なんですけど、自分の中にはエネルギーがこみ上げていました。気づいたら涙が止まらない。泣いているんじゃないんです。涙が止まらない中で僕はずっとお粥を渡し続けていました。「何が起こったんやろう」と思いました。家に帰って考えたんですね、で、気づきました。曾祖父が食堂をやっていたわけです。その息子、祖父と、その奥さん、つまり祖母が僕の幼い頃から料理を教えてくれていました。僕は小学生でハンバーグをつくったり、中華鍋も使えるようになっていました。でも、父は「男は料理なんかするもんと違う」って古い考えの人です。しばかれるので、父がいない時だけ料理をつくったら、祖父と祖母に母も喜んでくれて、その頃の感情が蘇ってきたわけです。そして、人がこんなに喜んでくれてると思った、その瞬間、稲妻が走ったんですね。よし、「食べ物屋の仕事をしよう」「人を喜ばせよう」「人を喜ばせると僕自身が喜べる!」と。
僕は今、「食」という仕事をやっています。もちろん食べるためにやっています。でも、食べるためだけにやっているわけではありません。自分が志して22年間、ひたむきに食の仕事をやってきたのは、心から食べてもらうことを喜んで、食べてもらって喜んでくださっていることを喜べて、なんていい仕事だろう。いろんなことに導かれた結果、いい仕事に就けて本当によかったって、僕は心から感謝しているんです。それを今日、お話しできたらなと思っています。



●レストラン 『Hamac de Paradis(アマーク・ド・パラディ)』
第1号店のレストランです。お金がありませんから自分たちでペンキ塗りしているところです。ペンキ塗りをしてくれる人を探しました。たくさんの子が手伝ってくれました。1995年1月の地震から約11カ月後の12月13日にオープンさせることができました。当時、大阪府知事だった横山ノックさんの息子の山田一貴君と仲がよかったんで、電話して「大阪府の施設で子どもたちのクリスマスパーティーを計画しているところあるか」と聞いたら、紹介してくれたのが児童養護施設「四恩学園」でした。初めて迎えるお客さま、子どもたち20名と先生15名のパーティー。これが12月13日、第1号店のオープニングです。食べるということは、もちろんビジネスです。お金をもらいますし、どれだけ利益が出るかとか、どんな事業計画かというのを当然考えますけれど、何よりも「食べる」ということがどれほど人を救えて、どれだけ幸せにできて、明日につながるんだということを僕と何の関係もない人たちに感じさせていただく。招いた子どもたちは本当に夢中に楽しんでくれました。食べることのリアルを感じたのが我々1号店のスタートです。今は、少し改装してこんなふうになっていますが、ほとんど22年前と同じです。
ここにポスターがあるんですけど、「思ったこと」と書いています。この「思ったこと」は実は今も全く同じなんです。ちょっと読ませてください。「ヨーロッパの路地の片隅にあったよなってレストランが、この12月中旬、この場所で開店します。大きな工事は業者の方にお願いしているのですが、それ以外はパリの店づくりのようにスタッフが手づくりで連日連夜、作業しています。気持ちのいい空間、おいしいお酒とおいしい料理、お茶とお菓子。心が旅する音楽。そして何より温かいおもてなしができればいいなと日夜プランしています。そんなある日・・」と続くんですが、この文章は22年たった今も僕が開店の時に書きたい文章ですし、持っている思いです。
「心が旅する音楽」とは、当時ほんとにお金ありませんから、オープニング時はCD2枚しかありませんでした。セルジュ・ゲンスブールのライブ盤とフェリーニ映画のサントラ盤、その2枚でした。ランチの売上金を持って、当時の心斎橋タワーレコードに行って視聴して「この音楽なら自分の店にかけたい。このCD、この3曲目をかけたい」と選んでいきました。そうして選んだCDの曲がどんどんたまっています。合わすと数千曲がiPodに入っています。僕たちがどんな料理、どんなスイーツ、どんなドリンクを出したいかと同じです。そんなものを未だに僕は22年かけてやり続けています。自分でギターを弾いて歌いますし、DJもやります。これ、店でやっていることです。今日もキリンビールの営業の方が来てくださっていますが、「ハートランド」というキリンビールで我々が日本で一番売っているビールからとった「ハートランズ」と名付けたバンドをオープニングで一緒にやったりしています。僕には自分の店が商売道具に見えないんですね。自分のやりたいことや、自分の持っていることを表現できる最も素敵なステージなんじゃないかなと思っています。
●レストラン&カフェ 『CAFÉ GARB(ガーブ)』
大阪のこれからおもしろくなりそうだよ、ということですが、これは元々南船場、住所的には博労町で、ジーパン屋の倉庫でした。ここを改装したのが「ガーブ」です。オープンから20年たちます。累計で65億円の売り上げがあります。当初は1億円しかかかっていませんが、この店舗が多分、大阪の街を変えたと思うんです。実際、こんな普通のところでした。
●レストラン 『monochrome(モノクローム)』
今、面白いかなと思っているのは天王寺です。天王寺には「MIO」という大成功しているショッピングセンターがあるんですが、今から17年前、そこの誘致に来られたんですね。僕は、商業施設にはあまり興味ないし、うちの良さを活かすことができないと断ったら、こんな空間もありますと示されたのが、駐輪場でした。地階と1階で十分賄われていたので2階は7年間何も使われずにおいてあったところです。まず、階段が面白いんですね。ゆっくりした階段ですから歩くのが難しいんですよ。自転車を押していくのに向いているスロープです。これを初めて見た時、面白いと思いました。こういうのって、うまく使うと店のアプローチになるじゃないですか。専用階段。そんなふうに演出しました。もともと駐輪場でしたから柱もこんなんです。ガラスも入っていませんでした。それを僕らが改装すると、こうなります。このあたりは天王寺駅のホームが見えます。車線も多いです。写真に写っている灯りがホームです。「モノクローム」という店名には意味があります。電車が見えてすごくいいんですけど、今はなくなっていますが、当時はラブホテルが近くにあったんですね。食後に利用される方もいるでしょうし、いいことなんだろうけど、直接見えるのは何だかなと思ったんで、窓のガラス全面にセピア色のフィルムを貼りました。モノクロームの映像の向こうに列車が走っていく。旅路、旅って切ないじゃないですか。派手目のネオンだったのでネオン色をちょっと落とせていいなと思って「モノクローム」と名付けました。2000年につくったんですが、今もいい感じで健在です。
●ピッツェリア&トラットリア『AOI NAPOLI』/ロールケーキ専門店『 ARINCO(アリンコ) 小石川工場前店 』
東京都文京区の小石川です。2階建て印刷工場の2階です。まるっきりベランダですね、空調機器と物置、喫煙場所になっていて、それ以外に使われることがありませんでした。それを僕たちの手になると、こうなります。薪窯を入れ、ピッツァとイタリアンを提供するレストラン「AOI NAPOLI」です。オープンして10年目になるんですが、年間2億円は売る物件になっています。この店の前の道は一方通行。大きな自動車が通れない路地です。今、うちは京都の嵐山でも「ARINCOロール」の店をやっているんですが、小石川の物件を借りる時、東京駅八重洲口にコーナーをとれることになっていたので、1階を工場にしました。ロールケーキですから、たまに割れますし、カットの際に、クリームがぴっちり詰まっていないとこも出ます。そんな訳ありでも売れる場所がほしいと思っていたら、たまたまこの建物の向かいに駐車場が家賃35000円で貸してくれるのが出てきました。それを「訳ありロール、できたてロールの感じで売ろう」とオープンした時の写真です。2月ですが300人並んでくれました。わずか35000円の家賃の場所に、これだけの人が並んでいただける。文京区小石川、路地の裏、そして工場ができたその前の店。この街の方に共感してもらったんじゃないかなと思っています。
大阪は今、確かに大成功をおさめているグランフロント、観光客があふれて歩けない道頓堀、天王寺にもすごい施設ができています。難波はもうすごいことになっています。心斎橋もすごいじゃないですか。うちは、中之島にカフェレストラン 『 GARB weeks(ガーブウィークス)』というのをやっています。そこだって、もともとブルーシートのテントが多くて女性が夜には絶対近寄れない場所だったじゃないですか。また、天王寺公園の“てんしば”でもピッツェリア&トラットリア『AOI NAPOLI(青いナポリ)』をやっていますけど、“てんしば”って動物園の前で、整備される前までは地べたに座って花札打ってはりましたよね。そういう場所がどんどん変わっていっている。大阪にはディープな場所、その良さを活かすと面白くなる場所がまだある。新世界なんかそうですし、道頓堀もあの雑多性が韓国の明洞のようだし、面白いですよね。そういう場所が大阪にはいっぱいあると思って、やりがいを感じています。星野リゾートも新今宮駅前の大きな土地を買いましたよね。あの場所って、大阪の人間は手がけようとは思わないじゃないですか。でも僕、星野さんなら絶対に面白いことされるんだろうなと期待しています。
