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アブナいのに、クセになる。「苦くて旨い」Program 3:ディスカッション
Program 3:ディスカッション
講師紹介

木下 幸治氏(<辻調グループ校>エコール 辻 大阪・フランス料理主任教授)も加わり、出演者全員で、苦味とおいしさについて、あらためて検討しました。
テーマにふさわしく、コーヒー付きです。
木下 寺尾雅典はサービスをもともと勉強しておりましたが、コーヒーを勉強するためにグアテマラに研修にいきまして、東京の有名なコーヒー店でも研修するなど、今、コーヒーではうちの辻調理師専門学校では専門家になっております。説明させていただきます。
寺尾 お配りしているコーヒーはグアテマラ共和国のコーヒーです。畑の標高で均一性を分類しておりまして、今日のコーヒーは標高の高い、高品質のコーヒーになります。今日は特に苦味をきかせています。コーヒー豆を202℃まで加熱しております。通常、グアテマラのコーヒー豆は195℃くらいまでです。少し高めに焙煎いたしまして、苦味を出しています。飲んでいただくと、おわかりいただけると思いますが、ビターな感じがありまして、飲み干した後、苦味が残りますが、すっと、その後、消えるというイメージで作りました。

司会 寺尾先生、ありがとうございました。コーヒーサービスをさせていただきました。飲みながら引き続きディスカッションをお願いします。
門上 木下先生、今日は「苦くて旨い」というテーマで皆さんの料理を見ていただき、どういう印象を受けられましたか?
木下 西洋料理の野菜は、結構苦いものが多くて、僕も向こうに初めていった時、アンディヴとかクレソンなど、苦味のある野菜をそのまま生で食べることが多かった印象があります。もう一つ、苦味は味を断ち切るという話です。30年ほど前、ベルギーのブリュッセルの三つ星レストラン「ヴィラ・ロレーヌ」で、ヒラメのクリーム煮の料理を食べたとき、ワイルドアスパラの先を食べると、それが、また苦いんです。おかしいなと思ったらホップの新芽だったんですね。ベルギーでは季節になればホップの芽を食べるのです。クリーム煮は、まったりとまろやかなんですが、ともすれば、味がぼやけるところを苦味で断ち切っているというか、アクセントになっていました。そんな料理を食べたな、ということを思いだしました。もともと西洋料理は苦味をたくさん使っていたように思います。
門上 南さんは、基本的に、苦いものを使わずに苦味を出す料理でしたね。
南 先天的に苦いものと、後天的な苦味があると思いますが、五味はつきまといます。体をあたためるか、冷ますのか、中庸のどちらにも傾かないものがありますが、苦味は体を冷やす食材が多い。蓮の葉も、そうです。そういうことを考えつつも、そこにこだわるのではなく、一般的ではないというか、食材で中国料理の技術を使って、香りの部分でも苦味を感じてもらえればいいかなと。
門上 やり過ぎると、薬膳っぽくなるんですか?
南 杏仁豆腐をデザートに使う時、南の方ではアーモンドとか甘いものを使いますが、本来、杏仁は満州族が食べていたもので、満州杏はもっと苦くて薬効が強いんです。満州は乾燥した大地で騎馬民族ですから、大地を駆けている時に肺とか気管が弱るのを補う、潤うものとして杏をすり潰して飲んでいたのが、後世、発展して杏仁豆腐になったんです。薬膳はあまりにも特殊すぎて、取り扱うにも専門的な知識が必要になってくるので、あまり向かないかなと。
門上 薬効というか、体に対しての中国料理からの説明がありましたが、和食の場合はどういうふうに考えるんですか?
村田 和食に残っているのは陰陽くらいで、あとは伝わってきた時は、あったんでしょうけど、医食同源の思想は、韓国よりも中国の方が強いという感じはしますね。もともと体が冷える、あたたまるとか、妊娠の時にはこれは食べたらあかんとか、いろんなものがあったんですけど、今は料理の中に反映させることは、苦味料理の場合はないですね。
門上 フランス料理はどうですか?
山口 一つひとつのものの役割というよりも、ハーモニーという全体的にどういうふうに仕上げるかという完成の仕方で、考え方のもとは違うのかな。川崎先生の解説をお聞きして、違うなと思いました。昔の料理で、合わせバターにコーヒーの粉を入れてステーキの上に乗せてグラタンにするような料理もあるんですが、それもお出ししてもいいのかなと思ったんですが。フレンチでは、苦味をどういうふうに活かすか、苦味を使って何か全体を表現するという考え方なんでしょうかね。
門上 世界的に苦味の種類が多い、そこに注目しているということでしたが、世界的に、そういう傾向ですか?
村田 そう思いますね。時代はこういうふうに変わるんやな、というのは全世界で30、40代の若いシェフ連中が一斉に同じことをやりだすんですね。時代が変わる時、必ず起こる現象で、誰が最初にやったということもなく、情報が行き交うわけもなく、何かのことで、皆が一斉にそう思って、そういうふうに考えだして、構成を変えてしまう時があるんです。世紀末でも、そうでしたけど、近いうちに時代が変わるなというのは、世界中を回っていて、この頃、強く感じますね。料理の構成の仕方が、えらく変わってきた。
フランス料理はフランス料理の考え方、料理の構成の仕方があって、日本料理は日本料理の構成の仕方、ものの積み立て方があったんですけど、それが一旦、ニュートラルに近いところになってしまうと、ボーダーがだんだんなくなっていく。中華料理の人はフランス料理でも日本料理でも何でも取り入れて自分らの料理にしてしもうてますわね。フランス料理は昆布も使う、鰹節も使う、皿うどんが出てくるみたいなところまできている。それが正しいのかどうかは、その人によるのでしょうけど。だんだん世界におけるボーダーはなくなっていくやろな、という気はします。おいしいのが正しいのやな、ということだけは確かですね。
川崎 中国料理が大好きだから言いますが、中国では、取り入れるというより、一回やってるんと違うかなと思うことがあります。4000年の間に一回やっていて、今、ヨーロッパや日本なりがやってることを、もう知っているという、そんな気もするんですよね。中華のシェフには科学的なことに興味を持っていただけないことか多いんです。なんでかなと。フランス料理は一番取り入れやすかったと思うんです。科学的に考える癖がついていたから。日本料理も、そういう時代にきている。ところが、中国料理は、なぜ興味を持ってくれないのか。
まず、中国の全体思想があるんですが、和食とかヨーロッパの食の場合は、どんな風味を出そうかと考える時に他のところから取ってくると風味がわかりやすい。そのためには科学的に考えることが必要です。ところが、日本で中国料理をされている方は、中国に出張なり、取材で原料を引きにいったら、知らない素材が出てきて、それを引くだけで自分なりの味が出せてしまうのではないかな。自分で考える必要がないということではなく、中国の深い歴史の中にいっぱいありすぎて、上海や四川の深いところにいくと、日本人の知らない食品やら調味料があって、原料を引いてきたら日本では自分しか出せないというのがありますよね。そういうのもあるのではないか。中国の深さというか、科学なんか知らなくても、できちゃうから。そういうことはないですか?
門上 南さんは1カ月くらい、中国にいかれるわけですね。まだ知らなかった素材とか料理とかあるんですか?
南 多々ありますね。全く知らないものとか、ありますし。川崎先生がおっしゃることはあたっているような気がします。奥が深いから、中国にはまってしまっているような気もするんですね。
門上 フランスを歴史的にみると、いろんなところから取り入れていますよね。
木下 西洋は科学に直結するというのは歴史上のことで、フランス料理は錬金術的なんですね。これとこれを混ぜたらこんなふうになって、という。魔法使いみたいな、そういうものの驚き。200年ほど前までは、料理人は王侯貴族にしか仕えてなかったので、そういう人を喜ばすためには、錬金術的なことをやらないと喜んでもらえないという歴史があったと思うんですね。中国は支配者が変われば全部一旦チャラにしますでしょう、すべて。書物も焼くとかしますから、前の文化がわからなくなる。ずっと繰り返して、前の文化がなくなって、また新しい文化になって、ということになるから、知らないというより、残ってないのが事実ですね。いつも新しい発見があるという感じは受けますね。
それと、西洋料理も医食同源というのを考えていまして、体を冷やす材料とあたためる材料が決まっていました。フランス料理は、ほうれん草を炒める時にニンニクをフォークに刺して一緒に炒める。ニンニクの香りを移すのではなく、ニンニクは体をあたためる、一番最上位にある食べ物です。青味のある、ほうれん草は体を冷やす、下位にある野菜なんですね。体を冷やすものと体をあたためるものを一緒に混ぜると帳消しになって、体に入るといいという、1300年の中世の時代には決めて一覧表になっていました。ちょっと前のフランス料理には、食べ物を分けると、これとこれを組み合わせるという考え方、世界観も残っています。医食同源と考え方は違いますが、概念としては、そういうものがあります。
村田 すばらしい。ヨーロッパの料理には、そういうものはないんやと思っていた。シルクロードを通って、医食同源の考え方は中国から西と東にいってるかもしれませんね。



門上 日本には陰陽がありますね。
村田 日本にはいろいろ残っていますが、お雛さんの置き方一つにしても陰陽になっていますし、お箸の置き方とか、すべてのものを陰陽に分けています。一般的にそういうことを教えたり、つないでいくという文化自体が切れてますわな。戦前まではあったんですけど、戦後、一回否定してしまいましたので、日本料理も自分たちの文化に対して自信がなくなって、それらを否定して、舶来上等で、給食まで洋食にしてしもうて、今、困った目にあうてという、こんなになりますねん。
門上 テーマからいろんなものが広がっていくという。川崎先生の話を聞いていただいて、感想とかどうですか。
村田 このイベントに初回から来てはる人は、ある程度、理解してついていけると思うけど、いきなり初めての人は、なかなかついていけませんよ。メイラード反応というても、初回からの人はわかって知識としてありますけど、初めての人は、わからんまま。おいしいものをつくるには、一つの方程式があるねん、というところからやらんと、わからへんと思いまっせ。急に来たら、難しい講義やなというのがあると思いますわ。1日で続けて講義できるわけやなし、会の記録を読んでもらっていると、わかるんですけど。
門上 ホームページで詳しく紹介していますが、ガストリックをやっていただいた時、新しい発見がありまして。フランス料理をやっている方が、ガストリックをやる機会がなかったりして、前のものを読んでいただいたりしている。南さんは、今回初めてですけど、いかがでしたか。
南 勉強になりました。メイラード反応とか資料を読ませていただいて。知識を持って臨んだんですが、実感できました。
門上 会場には「祇園 さ々木」の主人、佐々木浩さんが来られてますが、今回の感想はいかがでしたか。
佐々木 いつも勉強させていただいてます。苦味が勉強になったのは、料理の中で、和食もフランチもイタリアンも中国料理も、最後にお茶を出すのが、苦味を切るとか、すっきりする。もてなすことに対して、先人はよく考えているなと、苦味というテーマに対して、料理の内容は別にして、苦味と味に対して勉強させられました。
門上 お茶というキーワードが出てきました。
川崎 洋食の最後にコーヒーを飲むのと、日本食の最後にお茶を飲むのは全然違うなと思いました。洋食の最後のコーヒーを飲むと、後にコーヒーの味が続くじゃないですか。お茶を飲むと、すきっと終わりますよね。それに日本料理と洋食の苦味の使い方の差が現れているなと思いました。懐石料理は、お茶に向かって料理を食べることもありますが、濃茶を飲んで完全にリセットがかかってというのは、なんか、すごいですよね。
門上 450年の歴史ですね。お茶の歴史は。川崎先生の中では、西洋料理のコーヒーと和食のお茶と、料理の構成とあり方が違うと。中国のお茶は、どういう位置づけなんですか?
南 飲茶は、中国的な考え方です。良薬口に苦し、という言葉があるように、なぜ、舌が25種類の苦味を感じるか。取り入れていいかどうか、ここで最前で判断するんですね。そういう立ち位置で苦味をとらえて料理にスライドするという考えです。料理のおいしさの構成要素の一つとして、とらえていないように思うんです。香港では地下鉄の駅で豚の肺と杏仁を煮込んだスープを飲んでいる。文化として定着しているので、苦味が、おいしいではなく、体にいいんだ、自分の体質にあっているから飲むんだという。お茶も、薬として発展してきて、移行している。苦味を茶で最後にリセットする、コーヒーのメイラード反応の後味とは違う感じです。
門上 中国料理におけるお茶の位置づけでは謎があるんですが、次回は京都に会場が移ります。こんなことをやってほしいというリクエストがあれば、どんどんお申し出ください。渋みと苦味は違うということでしたが。
村田 「渋くて旨い」は難しいな。
川崎 苦味は、脳の中では苦いという情報だけではなく、嫌な味という情報があるんですね。生まれながらにして嫌な味として認識されている。渋みは味ではないんですよ。体性感覚という舌の感覚らしいです。渋くて旨いというのはなくて、できるだけ減らそうという感覚です。今回は苦味ですが、苦味の食品科学的な研究は、苦味の抑制の研究ばかりなんです。活用しようという研究は、ないんですね。だから、今回は珍しい内容だと思います。渋みは、もっと少ないし、わからないことも多いと思います。
門上 次回は、テーマを考えて、またお知らせします。ぜひご参加いただきたいと思います。本日は、ありがとうございました。
「関西食文化研究会」では、交流をテーマに
今回のようなイベントを順次展開していきますので、ご期待ください。



