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料理の味を引き立てる「香り」Program 3:ディスカッション
Program 3:ディスカッション
講師紹介

門上 川崎先生、皆さんそれぞれのアプローチで同じ部分と違った部分があったと思うのですが、3人の方々のデモンストレーションを見られて、少し分析していただけますでしょうか。
川崎 あくまで香りは料理の要素、道具ですね。道具というのは使い方によって違って、香りという道具をどうやって使うか。そこに文化が現れていて非常に面白い。今回、3人の皆さんから事前にレシピをいただいていたのですけど、他の方はオイルを使ったり、オイルに香りを溶かしたりしておられたなかで、山根さんの料理、僕は最初すぐに情景が浮かんだのですね。菜の花畑と山小屋があって自然というか牧場みたいな印象があって、全体としてまるくて一体感がある。それに対して山口さんの料理はマンゴーとオマール海老。自然界では多分、絶対出会わない2つだと思うのですけど、それをなんらかの共通項、多分、甘味かなと思うんですけど、オマール海老の甘味、マンゴーの甘味、それを見出して組み合わせることによって、これまでにない新しいフレーバーになる。オマール海老とマンゴーの組み合わせは伝統的ではないですよね?
山口 まあ、あんまりないです。
川崎 そういうように違う組み合わせを見出すことによって、A+B=Cにしたのですね。ところが、髙橋さんの日本料理は、A+B=A+Bだと思いましたね。日本料理というのはそれぞれをそのままどうやって尖らせて合わせて食べさせるかというようなことで、A+Bのままがいいんだというところが違う。
門上 山根さんと山口さん、情景が浮かぶのと出会わないものが出会うという、全体的には西洋と日本の文化、料理の成り立ちの違いというものが明確になったと思いますけども、木下先生は3人の方のデモンストレーションで印象に残られたところはどこでしょう?
木下 そうですね、香りというものを考えてみると、西洋的考え方と日本的考え方があると思います。でも、これは料理とは関係ないですが、西洋には香水の調香師がいます。数年前に「perfume」という映画があって、18世紀の天才調香師の話で、最終的には悲しい物語だったです。西洋は香りを調合しながらまた新しい香りを生むという歴史をもっていると思います。一方、日本はどうかというと、香道という華道とか茶道と同じように香りの道。香道の遊びがありました。自慢の香木をそれぞれ、数種類持ち寄り、それを嗅がせてみて「さあ、この香木はどれだ?」みたいに当て合う。日本では、複数の香りをどうこうするのではなくて、一つの香りを重視する。ここに私は二つの文化の歴史があると思いまして、料理の香りに対しての考え方も、この歴史の流れを重要視しています。 それが食べものとくっつくと、食文化になって香りが伝承されていくわけですね。香水がある国には香水の香りがずっと子どもや孫にも伝わっていくと思うんですね。日本にいると、どうしても単一の匂いを感じるというのがあるので、それを複雑化していく歴史がないので難しいところもあると思います。3人の方の料理を拝見して、その香りのつけ方ですね、やっぱり西洋料理は西洋の香りのつけ方だなと感じたんです。いろんなものを混ぜ合わせて一つの香りを作り出す。日本料理は、単一の香り。木の芽は木の芽だけとか、柚子は柚子だけとか。そういうことの方が我々には理解しやすいのだろうなという感じはしましたね。
門上 今、調香師の話と香道の話が出まして、まさにそれは髙橋さんが「型があって」とおっしゃった、日本にはもともと型があって、そこに当てはめていって、そこから物事を考えていくというのと、西洋の場合はいろいろ合わせて反対に型を作っていくという、西と東の考え方が料理にも反映されているなと思いました。
髙橋 香りについても日頃よく食べているもの、日本料理のお椀でも上に木の芽が乗っているという構造は、すでに皆さん理解しているので、この期待感、つまり「おいしい」というのがすでに大前提になっています。けれど、外国の方々はそれを見ておいしいかどうか判別できていません。その国の料理をそこに住んでいる人が食べることの条件でいうと、フランス人であればステーキのソースがたくさんかかっていて、食べる時におそらく期待値が一番高い。非常に興奮する状態、それで習熟度によって、おいしさの度合い、興奮状態は変わると思います。
単一の香りは西洋人にとって面白みがないということは如実に表れています。どうして日本料理の構成の中で始めに木の芽が出てきて、筍ご飯でまた木の芽やみたいな感じで、「もうええ加減にしてくれ」と言われるんですよ。日本料理のマイナス要素というか欠点はそういうところにあって、どうしても、筍は「ザ・木の芽」みたいな。若竹の時は必ず木の芽を合わせます。そうなってくると、木の芽しか合わせづらくなったり、「それよりもおいしいもの、じゃぁなんなん?」と言われると困るわけですね。「木の芽からなんで柚子なん?」みたいな。そこに違うハーブをもってくる。もしくは、蕗の薹を揚げたものをもってきても、木の芽が一番おいしいに決まっているわけです。そこが日本料理の香り合わせで難しいところだと思います。



門上 山口さん、今の木の芽の話で何かないかなと思うんですけどね。何かないですかね?
山口 A+BはオマールABやな(笑)。料理のしつらえなどによる、と僕は思うんですね。例えば、和食の館で扉を開けるとか、そこに行くとかというところから今の筋書きやストーリーが出来上がっているわけ。でも、フランス料理で和のものを出す時に、それは木の芽でなくても受け入れられると思うんですね。そういうことなんじゃないですか。だから料理は、作られた、目の前に置かれたものだけでおいしさとかいろんなものが評価されるのではなくて、しつらえとかの部分。それと、そこの店で食べるのが初めてか、いつも食べている店か。「今日は、ちょっと違うもの出してみます」というのだったら、また違うと思うんですね。そういう情報とか、出す側と出される側の距離感の違いによっても変わってくるだろうし。もちろん、皆さんが今まで持っている自分の食の履歴ですとか、それから「もう飽きたから違うもの出してくれ」と思われている時に出すのと、「そんなんは、そうやろ」というのと違うわけですよ。だから、絶対というものはなくて、自分が思っているところでお客さんを引きずり込むということが重要で、それはずーっと高揚させていくということで、高額であるとか、たくさん流通しているからというのではなくて、それをどう感じさせるかということだと思うのですね。
門上 そういう意味では、香りをデザインすることによって新しいものは、それは固定のジャンルではなく、新しいものが出てくる可能性のヒントが、今日はいっぱいあったなと思うんです。山根さんはどういうように思われますかね。
山根 僕が思っているのは、料理と調理の違いやと思います。調理というのは筍にどない火を入れて、湯がいて、灰汁を取るとか、肉をどう焼こうかというのが調理。香りづけというのは嗜好性の部分やから、「なんでウナギに山椒をかけんねん」っていうたら、理由はやっぱりウナギの脂っぽさとかクセみたいなものを消したいから、刺激のあるものを合わせたい。だから胡椒でもいいはずやし、髙橋さんがおっしゃったみたいにフランス人やったら胡椒かけたいというかもわからへんし、もしかしたら七味でもいいかもわからへんけど、山椒でしょ、日本では。というのは、出会いがあって山椒との相性が日本人の嗜好性と合ったということですよね。つまり、そういう刺激のあるものを合わせたいというのがセオリーであって、それは調理に近い部分であって、どの香りを選ぶかは嗜好性なんで、なんでもいいんですよ。たまたま一番好みに合うものをあわせれば、いいんやから。
僕はやっぱり調理と料理は違うなと思います。料理はセオリーがなくて好みなんですよ。髙橋さんと僕と山口さんでは、食に対する好みは微妙に違うと思いますね。だから、結果的に違う香りで出したりする。香りはまさに、決まりではなくて、経験値と料理人の好み、そういう部分によるものが、かなり大きいというのは今日の話の中でもずいぶん出てきましたけど、そのように感じます。
門上 木下先生は、もっと可能性があるとお考えですか?
木下 味と香りは遺伝とは言いませんが、伝承性なので、例えばお祖母ちゃんも食べていたし、お母さんも食べていて、自分も小さい時は食べてそれに慣れているということですよね。まあ、慣れですよね。内輪の話で申し訳ないですけど、かみさんは食パンの耳は食べないんですけど、なぜか、うちの息子は耳が好きなんです。かみさんは嫌いなんで、いつも子どもに「はい」って渡すもんですから、息子は食パン食べる時は、まず耳から食べるという、うまいこといっているんですね。先の木の芽ですけど、多分、お祖母さんも、お母さんもこれを食べている時に「これ、いい香りやから」「春のものやから」とか言われていると、そうなってくるんですね。ここに外国人がいて、筍と材料を揃えて「じゃ、これ一番何が合うと思う?」と聞いたら、その人の生まれてきた伝承性で選ぶと思うのです。僕らが食べていいかというのと違うわけです。それが文化の国境ですよね。それがなくなってくるということが最近、起こっているわけですね。その中でどうやっていくかというと、やっぱり筍と木の芽を食べると「ああ、春がきたな」と思いますし、「幸せやな」と思うんで、それはそのまま置いといて、別に何もすることはないと思います。春の食材と筍と木の芽は、もう不動のものなんですよ。変える必要はないと思っているのです。ただ、それよりもそれに代わる春の味、香りを何かつくることが料理人の、これからの日本の中の料理ですね、日本料理とかフランス料理とかじゃなくて、日本の中の料理として、木の芽に代わる、匹敵するものを日本で作り出すことが新しい試みであるかなという感じはしますけども。
門上 非常に興味深い話ですね。とにかく木の芽と筍は日本では不動である。不動の四番バッターはいるんだけども、ひょっとしたらすごくヒットするような組み合わせがあったり、そういうものを考えるのがこれから日本の料理人の一つの仕事かなという話ですね。川崎先生、今日は「フレーバーデッサン」という話をされました。まさにそのことがあたるんですかね。
川崎 デッサンというのは方法論の問題だと思っています。例えば、絵を描く時は、絵画学校でデッサンから習っていくじゃないですか。彼らの中ではまず骨を意識して立体的に描くために何か骨の周りにあるように描くとか、やり方が伝承されていますよね。料理で、そういうルールみたいなものができないかなと、僕は最近思うようになって。調理師学校で、そういうことを教えるようになっていけば、新しい料理を考える時の考え方を教えることになると思うのです。絵を描く人にはデッサンの方法があたりまえ、そういうあたりまえのことが、もし発見できれば面白くなっていくかなと思う訳です。和食と洋食は全部違うし、今日も考え方が、皆さん違うというのが現れていました。でも、多分、18歳ぐらいの子がこんな話を聞いてもわからない。そこで、料理を教えていく時、技術だけじゃなくて、考え方もそうやって教えていけたら、彼らの把握度が早くなったりしないかなと、ちょっと思ったんです。デッサンというのは盛り付けの方法だけではない。つまりここでのデッサンはお客さんの体験を「見える化」したものです。
門上 この研究会で一番始めは「香りは油に移って、味は水に移る」という。そういうところから始まって今日みたいな議論ができていく。新しい「デッサン」という考えが出てきたり、不動の四番に代わるものも可能性があるかもしれない。などと、こういう形でテーマを設けて食文化のイベントをやっていきたいと思います。
会員からも「こんなこと、研究できひんかな?」「やってみたいねん」みたいなことがあれば、この研究会のアドレスにご連絡をいただければ、検討したいと思います。今日は「香り」というテーマで、プレゼンテーションいただきました。どうも皆さま、ありがとうございました。



