Program 1:基調講演:「世界の料理の流れと日本の食文化」
講師紹介
辻調が見てきた料理の世界として、1960年代から今日までのガストロノミーの変遷を映像とともに解説。各節目となる役割を果たした料理人たちと、どのような推移を経て現代につながっているかを解説いただきました。そのなかで、日本料理との関係、評論との関係などにも言及。これからの展望を含め、示唆に富む講演をしていただきました。
私に与えられたテーマは、ガストロノミーについての世界と日本の料理の流れ。この大きなテーマを限られた時間の中で、できるだけ簡潔に話します。ガストロノミーは、古代ギリシャのガステル(胃あるいは消化器官)と、ノモミア(規範あるいは学問)に由来します。胃にかかわる規範です。紀元前4世紀、古代ギリシャのアルケストラトスの叙事詩「ガストロノミア」にさかのぼる説もありますが、ある意味では先史時代、人が火を扱うのを覚えた頃までさかのぼることもできる。つまるところ、火の発見がなければガストロノミーも発展しなかった。大阪ガス「hu+g MUSEUM」開設記念にふさわしいテーマです。
1960年代、第二次世界大戦が終わって10数年後の世界から始めます。戦後の混乱がひとまずおさまり、まがりなりにも平和な世界になって、特にフランス料理の戦後復興、隆盛が始まった時代。日本もまた世界が驚く経済復興を遂げる時代です。あれから50年、フランスだけに止まらず、世界を視野に入れて劇的な変遷をたどっていく現在のさまざまなプレーヤーたちが、世界各地で登場し始めた時代だったと言えます。まずは、1960~70年代の辻調グループが出会ったフランス料理の様子をスライドでごらんいただきます。ヌーヴェル・キュイジーヌ以前の60年代、ヌーヴェル・キュイジーヌ真っ只中の70年代にかけて活躍したフランス料理界のシェフたちです。フランス料理界の潮流からみた時に、味付けも一人前のポーションも次にお話しするように、完成されて素材重視の料理に変身します。
料理に関しては素材主義になり、それを実現するために機能主義が定着していく。伝統的な重厚なバターや生クリームの使用を控えめにしていきます。そして素材の品質、新鮮さに配慮し、なおかつ持ち味を引き出す調理法をめざした。今から考えると70年代の彼らの料理が軽いとは思いませんが、先行する世代の料理と比べれば、当時としては軽くなったと言えます。レストランでは大皿で盛りつけた料理をデクパージュする時代から一人前の皿盛りへの移行期でもあったと思います。サービスにおいても、同様に簡素化が進んでいきます。それは同時に厨房内での料理人の仕事の手間が増えていくことを意味します。そんな時代を代表する料理の一つ。エスカロップ・ドゥ・ソーモン・ア・ロゼイユ。1975年、ジャン・トロワグロが創造したこの一品は、まさに素材主義の象徴ですが、同時に日本料理に影響を受けた象徴的な一皿だと考えています。
なぜなら、通常は筒切りにするところをフィレにした上で、そぎ切りに身を薄くしてからフライパンで火入れをしている点。しかも当時、フランス料理のプロの世界ではまず使うことのないテフロンの鍋を使用している点(パティシエのガストン・ルノートルからのアドバイスとか)。ソースにはデンプンも使わずにヴァン・ブラン・ソースの軽さと酸味とバターの脂肪分のバランスで軽く仕上げ、ソーモンは浅く火を通して柔らかな食感を表現しています。ソーモンとソースだけ。ガルニチュールも廃止しています。そのシンプルさには日本料理のシンプリシティが見事に表現されていると言ってもいいのではないか。このトロワグロの料理は、ヌーヴェル・キュイジーヌと日本料理との関係を感じさせる記念碑的な第一作目だったと言えます。
80年代に入ってヌーヴェル・キュイジーヌが終息すると、わかりやすい潮流や流派という形では括ることのできない、シェフそれぞれの個性の時代が始まります。その個性の時代の象徴的な3名を紹介します。ジョエル・ロブション、アラン・デュカス、ミッシェル・ブラスです。一般的に料理の革新は一夜にして果たされるものではありません。ただし、時として天才的な才能をもった料理人は一気に時代を変えてしまうことがあります。ジョエル・ロブションはまさにそういう一人でした。ロブションの料理は先行する世代の料理を古い料理にしてしまう革新性を持っていたと思います。いわゆる現代フランス料理の第二革命期をつくったとも言えます。
まず、フードデザインを幾何学的に構築しながら新しい料理をつくりました。素材と素材を組み合わせる時、主材料とガルニチュールという組み立て方ではなく、異なる素材と素材を立体的に組み合わせます。さらに調理場のつくり方、動線、スタッフの仕事の中身まで変革していきました。コンクールに出すレベルの料理をレストランで再現するようにした初めての人です。幾何学的なフードデザインによる料理をつくるために、食材をミリ単位で細かく揃えていく、温度を1℃単位で計って調理していく、という緻密な作業が必要になってきます。ピンセットやスポイド、物差し、温度計が活躍する厨房の出現です。また、食堂列車の料理を監修するにあたって、真空調理法を導入しました。これは肉のキュイソンの安定化と再現性の高さを担保するためのもの。同時に、自在な温度帯での調理の幅を飛躍的に拡大させました。要するに、新しい食感の革命です。
アラン・デュカスは、著書『グラン・リーヴル』の中で、あらゆる古典的な料理を再構築してみせました。しかもロブションの幾何学的に素材を組み合わせる手法を使いながら、料理に関しては古典を現代に再現し直して、進化させた新古典主義というべき世界観をつくりあげました。具体的には伝統的な料理にありがちな配合が曖昧な部分をロブションばりのミリ単位の繊細な仕事や異常なまでに丁寧なエキュメを繰り返して究極的にピュアなフォンを仕上げていく。昔の料理を再現しながら古いルセットを見直し、素材の持ち味の引き出し方を現代的に洗練させ、それをルセットとして、体系的ではなく網羅的に公開していくという独特な存在です。それはあたかも、過去の遺産を最大限に活用しながらフランス料理の持っている本質的な構造力を再確認させるもの。当時、変革の時代、ともすれば迷走しそうなフランス料理の未来を照らす灯台のような金字塔だったと思います。デュカスは、古くはエスコフィエの時代からヌーヴェル・キュイジーヌ以前の60年代あたりの料理にフォーカスをあて、これからの料理をロブションの着眼点も応用して新しい解釈を施して再構築したのです。
ミッシェル・ブラスは、独学者として登場します。優秀な独学者がそうであるように、彼独自の料理哲学を打ち立てていきます。それは彼自身の故郷であり、レストランが位置するオーブラック地方の景観を料理で表現することでした。今、世界中で似たことをやっている初めての人だったと思います。通常は素材があって食材をどう生かすか、その味をどう引き出すか、そのためにどんな調理技法、スタイルで料理をつくりあげるかですが、彼の場合は逆の発想。オーブラックの風景を料理で表現するビジョンから独自の世界観をつくった。ちなみに、独学者であるブラスがフランス料理を学ぶのに最も頼りにしていた本がエスコフィエの『料理の手引き(Le Guide Culinaire)』。いかにフランス料理の系譜が脈脈と受け継がれているかがわかる話です。



次に、ブラスは、ロブションやデュカスに比べていかに斬新だったかを話します。近・現代のフランス料理の分岐点が、もしかしたらブラスだったのではないか。各国の料理人が一気に様々な視点でフランス料理を表現するきっかけをつくったのではないかと思います。ひとつが、ソースを消してしまったことです。オーブラック地方を愛してやまない彼が感じる風景、景観、色彩、香り、土、水、そこに育つ産物など、すべてを皿の中に描きたいと本気で考えます。そこで、皿の中で色彩的に独占しがちなソースを排除します。その代わり、ピューレだったり、コンディモン(薬味)だったり、中国料理の豆板醤のようなものを使う。そういうものをブラスはニアックと表現するのですが、添えることによって主素材の味を高める。当初、こうした技法はフランス料理界からは邪道と見なされていました。それが今やフランス料理の新しい表現者、パイオニアとして世界中の若い料理人たちを魅了しています。フランス料理における自然派主義者です。
もうひとつ、この3人の共通点に、デセールをデザインしていることが挙げられます。シェフの料理哲学がデセールまで一貫されるようになったのも、この時代からです。
ここで日本料理の世界への影響について話します。これについてはいくつかの段階があると思います。まずは、60年代から70年代にかけての初期の段階。醤油とか調味料や加工品の導入が始まった第一ステージで、多くのパリの料理人たちが、この頃から使い始めていたと証言しています。ただ、この段階では、ほんの隠し味程度の使い方にすぎなかった。第二ステージは80年代、日本料理の器の自在な使いこなしなどフランス料理に影響を与えるラインナップが豊富になっていきます。日本のミニマリズムにおける世界観や色彩、デザインなどがフードデザイン、ポーション、ソースの置き方、食感など隅々にまで影響を与えることになります。隠し味に使う時代から表面的な見た目の時代へ、そして生魚、葛などの凝固材の使用による新しい食感、新しい食材の発見へとつながっていきます。まだこの辺は序の口ですね。
そこからが最も重要なのですが、次にくる第三ステージは日本料理が持つ味覚の技術的な構造の影響です。フランス料理の調理技法の進化が行き着くところまで行った2000年代、新しいうま味の引き出し方の手法としてレシピを一から描き直す動きが始まります。これは建築でいうと、超高層ビルの設計図と宇治の平等院のような木造建築の設計図とでは表現が全く違う、それほどの味覚のあり方の違いです。日本料理の持つ味覚に影響を与えられた料理人たちが、現在では世界中にいるということです。ただし、第三ステージの奥行きまで届く成功例は、片手で数える程度しかいません。フェラン・アドリアがその成功例として挙げられるかは、大きな議論の対象だと思います。パスカル・バルボ、アン=ソフィー・ピック、成澤さん、和久田さんたちはすでにその領域に十分に入っておられます。しかし、まだまだ日本料理の技術的理論を深く本質的に理解している海外の料理人は少ないと思います。つまり、西洋料理を日本料理との融合でハイブリッドなレベルまでもっていき、新しい料理を生めない限り、第三ステージに到達したとは言い切れない。東洋のエキゾチシズムから始まり、技法への理解、そして導入へと、ようやくシフトした今、これから我々が何を発信していくべきかが問われる時代に入っているということです。
話を戻しますが、ミッシェル・ブラスの後にフランス料理はどうなったか。ここで登場するのがスペインの新調理法をつくったフェラン・アドリアやイギリスのヘストン・ブルメンタールです。調理科学の知見と新しい料理に対する感性の融合から生まれた料理、分子ガストロノミーという新世界ですね。この潮流を読み間違えてはいけないのは、科学者たちが料理の世界に科学的な知見を持ち込んで、調理の物理的・化学的現象を通して新しい料理を生み出しただけではないことです。ブリア・サヴァランは、キリスト教的価値観のもとでまだ美食に後ろめたさがつきまとっていた時代、1826年に書かれた『味覚の生理学』の中で、ガストロノミーを「人が食べることにかかわる体系的知識の総体」と定義して、科学的視点を加えて食べることの価値を明らかにしています。ピカソは、ゴヤやプーサンに陶酔して絵を描き始めたが実際には彼らのような絵は描かなかったように、ヘストン・ブルメタールも、ジャン・ジョルジュ・ヴォンゲリスティンも、彼らが尊敬した料理とは全く違う地平の料理をつくり上げています。つまりこのことは、真の伝統主義者こそが新しい時代を切り開けるということを、彼らが、そして歴史が証明していると私は思っています。そこにはとてつもない努力と研鑽が必要とされているのは、この会場にいらっしゃるみなさんが一番理解していると思っています。
そして現在、日本料理にもグローバルな時代に生まれた新しい潮流があります。今日は西洋料理の変遷を見てきましたが、実は日本料理も同じように技術革新が生まれてきているのも確かです。多分、みなさんもユーチューブですでに何度もご覧になっていることでしょう。龍吟の山本征治君の野鴨調理のビデオをご覧ください。ここでは中国の技術、フランスの技術、日本の技法が駆使されています。一体どこの国の料理なのか、現在では問題ではないということを言いたかった訳です。
最後に、評論文化について少しふれておきます。ミシュランからワールド・ベストレストラン50へという流れについて。ミシュランがフランス中心にガストロノミーレストランを格付けしてきましたが、1970年代にゴー・ミヨという優秀なジャーナリストの文章で読ませるレストランガイドが加わりました。一方、ガストロノミーの世界は21世紀になるとフランス中心主義からスペイン、北欧を始め、今や日本を含めたアジア、南北アメリカ、世界各地へと一気に広がってきています。それに呼応するように、2002年ワールド・ベストレストラン50という世界中のジャーナリストや食の専門家が投票するレストラン格付けシステムができました。いわばミシュランのフランス料理の王道、本流の時代からワールド・ベストレストラン50との同時進行へと時代は変わりつつある。ミシュランは「自動車でいけるグルメツアー」という前提ですが、ワールド・ベストレストラン50では「ジェット機に乗って各地に出かけておいしいものを食べよう」という前提が生まれています。多様な世界の味覚の価値観をみた上で、民主的なシステムで選ばれるベスト50という仕組み、どっちが良いとか、悪いとかではなく、明らかに違う評価軸の中で、ガストロノミーがしのぎを削っている時代とも言えます。ただ気をつけないといけないのは、本来は多様なものの受け皿になるベスト50的な世界が、画一的なモード一色に塗りつぶされないように注意深く見守る必要があることです。レストランを運営して目の前のお客さんたちを満足させながら世界中のモードの中で自分のスタイルを確立し、なおかつそれを維持して進化させることが、どれだけ大変なことか。21世紀は、お客さんだけでなく、提供する側の料理人たちも世界を旅する。そして同時にインターネット、特にSNSの時代。バーチャルな場所でグローバルなコミュニケーションが成立する。こういう中で、本来はローカルな場所に縛りつけられている料理人と生産者たちの連携、日々の情報の共有なども世界規模で生まれてきている訳です。これをレストラン批評の側からみると、既存のメディアを加えて、ネット上でもプロの書き手、アマチュアの勝手な書き手が入り乱れて玉石混淆の情報がゆれ飛ぶ時代になっています。それは、レストランにとってもビジネス上でも無視できない状況であると言うことです。
ワールド・ベストレストラン50で一躍その名を世界に轟かせた「ノーマ」のシェフ、レネ・レゼッピ。フランス、スペイン、アメリカで修業し、グローバルに獲得した調理技術を駆使して、地元の隠れた食材を発見し、新しい価値観を生み出してガストロノミーのシーンの中で北欧スタイルとでも呼べるものを確実に定着させていった。彼の料理哲学、技術の特異性を理解するのに、いさかか時間と労力が必要でしたが、ある意味、私自身が予測できない範囲で料理の未来を示唆しているのかもしれません。ガストロノミーのトレンドがフランス、スペインから次は、という国ごとの枠でさえなくなっている状況になっています。さまざまな地域性、独自性のローカルな価値観、文化、個性を持った料理人が、皿の上だけでなく、レストランのあり方そのものをデザインしてグローバルな価値にまで引き上げられる、そういう可能性を見せつけられました。
こういう時代に、和食が世界から注目されているとか、和食をどう世界に売り込むかという単線的な発想でいいのかと思います。世界中にさまざまな食の価値観があるなかで、自国の食文化のローカルな強み、その本質を見極め、それをどう解釈し展開させていくのか、それがこれから重要になってくるのではないか。さらに自国の食文化を見つめた時に伝統と革新をどうやってコントロールしていくのかという段階があります。それは我々の職業の一番難しい部分であって技術者として研鑽するに値する価値な訳です。ガストロノミーを世界的なレベルで考えると料理ジャンルにかかわらず、グローバルな視点とローカルな場所での食の再発見、再解釈、この日本にしかないものの掘り下げが、これからもっともっと必要になってくると思われます。
本日は1960年代以降の激動の半世紀をざっと概観してきました。料理における技術とその本質、そしてその時代背景などを考えながら歴史を見直して検証することは、これからの時代に対応できる料理人を教育していく上でも必要なことです。そのために夢を持ってこの業界に入ってくる若者たちを新しい時代の料理人として育てるのは、教育機関としての私にとっても使命であり、責任だと自覚しています。彼らが技術と知識、そして何よりも夢を持ってこの世界で働いていけるように学校と社会が、この会場にいらっしゃる食の専門家、飲食業界をはじめ関係者の方々とも連携していけるようにと願っています。ご静聴ありがとうございました。

