Program 1:講義:料理人のための「香り」のサイエンスとデザイン 1/2
講師紹介

今日は「香り」について、いろんな話題を提供させていただきます。ここで言う「デザイン」とは、見た目のことではなく、「本質を見いだして意図的にコントロールすること」です。自分が表現したいことをお客さんに伝えるためには本質をつかんで、お客さんの感情、情動をコントロールしないと伝わらない。そこで「サイエンス」も出てきます。サイエンスが得意なのは本質を見いだすことです。デザインとサイエンス、両方使うことが大事で、料理人は料理のサイエンスを理解し、メカニズムがわかって、それをデザインに生かしていくことができれば自分の料理をより的確に表現できるのではないかと思っています。新しいレシピを考える時にデザイン画を描きます。それは見た目のことです。どういう材料を使うかということが多いと思います。そこに香りの情報はありません。香りは目に見えるものではない。そのような見えない香りについて、今日は議論したいと思います。
香りについて知っておきたい3つのこと。一つ目、風味とは何か。よく混同されて使われます。風味は、匂い、香りとは違う使い方を科学ではします。鼻の前から入ってくる匂いを前鼻腔香気といいます。対して、後ろから、ワインや食べ物を食べて鼻から抜く。その時の嗅覚を後鼻腔香気といいます。つまり、風味とは味+後鼻腔の香りです。食べ物を食べた時、味と後鼻腔の匂いを分割して感じることは不可能ですね。同時に感じます。それを分離することは難しい。鼻をつまんで食べると味だけを感じることはできる。しかし、後鼻腔の匂いだけを感じることはちょっと難しい。二つ目は香りの性質、物質の性質についてです。ほとんどの香り成分は油に溶けます。そして、揮発性がある。味成分と匂い成分の違いは何か。空気中に漂っているものを匂うのが香り。口の中でも一緒です。鼻から抜いているのは気体がいっているわけで、自分の呼吸とともに鼻から抜いているわけです。三つ目は香りの相性について。それについては、わかっていないことも多く、今回は提案だけしておきます。

まず、味覚と嗅覚の仕組みを復習しておきます。味覚の5基本味のうち、甘味、うま味、塩味は生まれながら生得的に好まれる。対して、酸味、苦味は生得的に嫌われる。体にいいとか、悪いとか、栄養情報を脳に運んでいるという見方がされます。嗅覚は、味との連合学習で好き嫌いが決まります。生まれながらに、匂いの好き嫌いは決まっていないのです。では、連合学習が始まるのはいつからか。羊水に浸かっているときからです。お母さんの食べたものの香味成分が血中を通って羊水にいって、赤ちゃんはその匂いを感じることも研究でわかっています。そこから学習が始まる。羊水にも母乳にも出てきます。それが記憶情報として赤ちゃんの脳に蓄積されていきます。それを後で思い出すのが「プルースト効果」で、大人になってから小さい頃の匂いを急に思い出す。嗅覚は記憶情報なのです。食文化は何によって決まるか。いろんな説がありますが、匂いで決まると思っています。味の好き嫌いは、すでに決まっていて、匂いの好き嫌いは学習によって形成されていくものだからです。
味覚受容体の種類。塩味は2種類、酸味は2種類、甘味は1種類、うま味は3種類、苦味は25種類あります。受容体は舌の上にあって味覚神経とつながっています。味成分が受容体にくっつくと電気信号が起こって脳に情報がいくわけです。嗅覚はどうか。香り、匂いは世の中に数十万種類ある。人が認識できるのは1万種類といわれています。しかし受容体が400種類しかありません。ここに嗅覚と味覚の大きな違いがあります。例えば、塩味は塩味の受容体にくっつく。うま味はうま味の受容体にくっつく。でも、匂いは400種類の受容体で、受容体が400種類だったら匂い成分を認識できるのは400種類なのでしょうか。違うんです。400種類の受容体で1万種類を分析、解釈できる。それはどういうことか。匂いはパターン認識なのです。だから400種類で1万種類の匂いを感じることができる。匂いが組み合わさると違う匂いになることがあるんですね。それが料理の中でスパイスとかハーブを使う理由だと思います。嗅覚受容体は嗅神経の先にあり、鼻の前からくる物質と鼻の後ろからくる物質が同じところにくっつく。嗅覚で受容された後、その情報は脳にいくのですが、嗅覚の場合、嗅球という嗅覚の元締めと扁桃体という好き嫌いを判断する脳部位が近い。だから、匂いはすぐに好き嫌いが決まります。経験があると思いますが、いい匂いがすると振り向きますね。嫌いな匂いが一瞬でもしたら「あ、臭い」と感情に現れるのが早い。そこが味と違います。
どういう情報が脳にいくか。味も香りも一緒で、質、濃度、時間の3つの情報です。質は、甘味とかレモンの香り、とかのことです。濃度は、強さとして認識されます。次は時間、いつ感じて、どのくらいの長さを感じるか。というような3つの情報と考えられています。

*画面1:[前鼻腔の香りと後鼻腔の香り]
写真の料理は、真ん中に穴があいていて、そこにハーブとドライアイスが詰まっている。周りにマグロが置いてあって、ギャルソンが上から水をかけるとドライスアイスの白い煙が出るのですが、それに伴い気流に乗ってハーブの香りがする。香りの中でトロを食べるという料理です。最近の研究では前鼻腔の香りと後鼻腔の香りは違うように認識されるので、あくまで鼻の前で匂うのは雰囲気の匂いです。ハーブの中で食べているのとハーブと一緒に食べるのとは違う。結構、誤解されやすいですが、料理人が何をそれで表現したいのか、口の中で感じさせたいのか、鼻の前で感じさせたいのか、これはあくまで風味ではないということになります。
感覚の部分、バーチャルな風味の増強について。バニラの香りは、バニラが甘いものと一緒に味わわれることが多いので、甘い香りと感じますが、バニラの香りの本体であるバニリンという物質自体は苦い。それをショ糖と一緒に飲むとショ糖の甘味が増強されて強く感じる。本来含まれている物質の濃度の強さ+αに感ずる強さがある。それはバーチャルで、本物ではない。そうした錯覚を活用することによって甘味を強く感じさせられる。それを応用していろんな匂いを試してみた実験を紹介します。強くさせたのはミルク、ストロベリー、アーモンド。レモンは逆にレモンの香りにつけると甘味を弱く感じる。オレンジ、ミントも弱く感じさせる。増強させることができることと、ミントの香りをつけて味見をした時、甘味が弱いなと思って足したら、ちょっと過剰だということもありうる。ここで面白いのは、この実験は日本人の場合だということ。先程、匂いは記憶情報といいましたが、あくまでも日本人の被験者によって得られた結果なので、外国人では違うのですね。食文化が関係することで、一概にはいえないんです。外国人の客か日本人の客かで気をつけないといけない場合が出てくるかと思います。

次は香りの性質について。味は水に、香りは油に溶ける。溶ける、溶けないというのはどういうことか。その物質の分子に電気的な偏りがあるか、ないか。それがあるものが水。味成分のうち分子内に電気的な偏りがあるものは水に溶け、馴染む。分子に電気的偏りがない物質が油に馴染みやすい。香気成分もそうです。両親媒性、水も油も両方溶けるのは何か。アルコールとか乳化剤です。カクテルなどに使うリキュール類は、アルコールが入っているからあんなにいっぱい香りがつく。実際どんな成分か。代表的なハーブ、キーとなる成分、紫蘇はペリラアルデヒトが重要な成分ですが、ペリラアルデヒトは油に溶ける成分。木の芽の香り成分も脂溶性です。ほとんどのものが油に溶けると思ってください。しかし、醤油のソトロンは水溶性です。メイラード反応は水溶性のものが多いのです。左はブイヨン、鍋があって肉があって下から加熱する。湯(タン)とかフォンとかブイヨンは、うま味成分を肉から抽出して、メイラード反応生成物を加熱によって生成させてそれが水に溶けたもの。フォン、湯(タン)、ブイヨンはうま味成分と加熱された香気成分が溶けた状態。肉をフライパンで焼くと、焼け焦げた部分ではメイラード反応が起こっています。それをフランス料理ではsucと呼んで、そのsucを溶かしたものをソースのベースに使います。肉が加熱されてメイラード反応を起こしたものを肉につけて食べるのがステーキです。それが水に溶けたのがブイヨン。そういうイメージをもつと話は広がると思います。おいしいと思っている成分は同じなのですね。それが大量の水に溶けているか、肉に付着して味が濃くておいしいかの違いです。
もう一つは燻製の成分も水溶性が多い。日本のだしは世界で唯一、燻製の成分を使います。鰹節。日本のだしはうま味成分とメイラード反応の生成物と燻製の成分が含まれているのです。日本の昆布はグルタミン酸、鰹節はイノシン酸とメイラード反応生成物と燻製の成分を水に溶かしたものです。西洋料理は肉類に含まれるさまざまなアミノ酸とか野菜の糖とかが加熱されてメイラード反応が起こったものです。中国料理の場合も西洋料理と似たような反応が起こる。中国料理は野菜をそんなにたくさん入れることはないので、そこまでメイラード反応が起こらない。西洋料理のコンソメは茶色ですが、中国料理はそこまではない。それには理由があるわけです。


