Program 3:ディスカッション 1/2
講師紹介



出演者:山根 大助氏(「ポンテベッキオ」オーナーシェフ)、柚野 克幸氏(「西心斎橋ゆうの」主人)、東 浩司氏(「Chi-Fu(シーフ)」オーナーシェフ)、川崎 寛也氏(農学博士、味の素株式会社イノベーション研究所主任研究員)
参加コアメンバー:山口 浩氏(「神戸北野ホテル」総支配人・総料理長)、吉岡 勝美氏(「辻調理師専門学校」中国料理技術顧問)
進行:門上 武司
門上 東さんが中国料理で「生地と具材のかかわり」をアプローチされました。吉岡先生からご感想からお聞かせいただきたいと思います。
吉岡 小麦粉を使う製品が発達しているのはユーラシア大陸で、東の端が中国、西南の端がイタリアですね。そして海を越えて日本でも小麦粉を用いた料理は多いが米の文化が発達しているところに小麦粉を持ち込んだことが大きな特徴になっていると思います。柚野さんのつくられた生地は、私は少し硬いと感じたんですが、米粉はグルテンを形成できないのでイーストのもつ炭酸ガスを抱えきれないことが硬さにつながったのかなと思います。ライ麦パンと同じですね。グルテンがきちんと形成されないとふっくらと柔らかくするのは難しい。それと、中国ではピザ窯がないわけです。西アジアからタンドール窯がインドを経由して中国に入ってきたようですが、ナンのように窯の壁面に小麦粉製品を張り付けて焼く技法が発達していきます。それが明代には北京ダックのように吊り下げて焼く形になっていったともいわれています。発酵生地の歴史は千数百年と随分古いがピザのような製品は発達しにくかった。平らにのばした生地の上に具材をのせて焼く製品を楽しむのはさらに数百年を待たなければなりませんでした。では、小麦粉文化がどう発達したかというと、薄い生地で巻いたり、包んだりして蒸すとか揚げるわけです。パンのように焼いたものを半分に切って具材を挟んで食べるとか、東さんがされたような煎包(生煎包)という品も生まれた。餃子のように焼けば生煎包、それを蒸せば小龍包と呼ばれている品です。いずれも割るとジュースがジュワッと口の中に広がる。国を問わず粉ものは大衆的な食べ物ですから街角で立ち食いするような形で発展していくのですが、製品の多くは酷似しています。今日、人々の生活に深く入り込んだピザや生煎包、そこには必ず美味しさがきちんと確立されている。今日、東さんが煎包をするとのことでどのようにアレンジされるか、楽しみでした。いろんな考え方があり、いろんな美味しさがあって面白いなと思いました。
門上 東さんは最初、揚げものをと考えておられたということですが、プレゼン終えてどんな感じですか。
東 川崎先生と事前にやりとりさせていただく中で、自分の中で考えていたものがより整理しやすくなったというか、「次、こうしよう」とか「プラットフォーム」として型としてとらえることができたので、完成度はもっと上げられるかなと思いました。今回は試食用の数が多かったので、出来具合はしっかり焼けたのとかいろいろあった。今後チームとして取り組む時に情報をどう共有していけばいいかということも考えました。フレーバーの部分も上手に取り込めたらいいなと思いました。
門上 新たな発見、反省、学びの場だったという話。吉岡先生は小麦粉でユーラシア大陸の端と端を結び、わかりやすい説明でしたが、柚野さんは、どういう感想でしたか。
柚野 まず生地の問題もありまして、具材と生地のバランス、食感とか、経験の少なさが出たところもありますが、山根さんと話をしていて、もっと違うアプローチの仕方もあったのではないかと思いました。
門上 山根さん、お二人の話から「もう少し違うアプローチ」ということに関してはどういうふうにお考えですか。
山根 ピッツアをどう定義するかということもあると思います。「包む」というのは考えていて、今回、最初に考えた料理はカルツォーネ。包み込んで揚げようと思っていたんです。東さんとほとんどいっしょ。けれど、中身はフルーツにしたかった。フルーツを蜂蜜でソテーして、割ると中からドロッと出てくるような感じ。デザートかアイスクリームのような。それもピッツアとして新しい形で「これもアリ」というのを見せたかった。拡大解釈していくとピッツアの定義が曖昧になるけれど、可能性としては広がると思ったのです。難しいのは、「発想」の範疇が広がり過ぎると、何でもアリになってしまうこと。味のついてない生地に合わせるだけだったら、白いご飯の上にご飯を美味しく食べさせる味の濃いものを乗せて出してもいい。おにぎりをぺっちゃんこにして具を乗せて出してもピッツアということになる。麺もまとめて上に何か乗せれば形はいっしょに見える。炭水化物系の台の上に何かを乗せるということだと収拾がつかなくなりますが、そういう構成で食べ物は出来上がっていて、美味しいですね。ピッツアもその一種ととらえれば比較的わかりやすいのかな。
門上 丼なんかも、その範疇になるのではないかという話。川崎先生、今回は「生地と具材のかかわり」ですが、発想としては、そこまでアリですかね。
川崎 定義の問題とすると「ナポリピッツアしかだめ」ということになるし、料理人の仕事は「感動を表現することだ」と前から言ってるんですけど、ピッツアの美味しさは何に由来するのか、味のない生地にソースが乗っているという概念だけでいくと定義が狭まってしまう。今回のテーマは「ピッツアから」発想する、そこが難しいし、みなさんもよくわからない状態だと思います。僕の解釈では「ピッツアから」であって「ピッツアへ」ではない。「から」を思った時、ピッツアに感じる素晴らしさを自分で解釈して自分のジャンルで表現する。東さんが、ピッツアから生煎包になったのは正しいなと思うのは、ピッツアは底が焦げているくらいのところがある。上海の街角で食べる生煎包の真っ黒に焦げて油で揚がったものと、その上のヘテロな部分、そこが美味しいということに絞って説明すれば伝わりやすかったかもしれません。僕は「感覚から入る、感動から入る」ことができないかなと思うのです。料理はそうやって伝わり、発展している部分がある。何万年もかけて人類は料理を育てているし、全世界でそういうことがある。例えば、昔、情報がなかった時、中国の人がピッツアを初めて食べて「めっちゃうまい」と感じる。そして「うまい」という感動をどうやって表現するか、そういう考えもできないかなと思うのです。素材を変えるだけではなく、「感覚や感動」から考えることができると、びっくりするようなものができないかなと。料理人にとっては大変でしょうが。
山根 僕が最初にナポリピッツアを食べた時に思ったのは、窯で薪を燃やすんですが、床の部分と同じレベルに薪が置いてある。ドーム型の燃焼室で、火が上に伝わり、一旦上った熱が対流して下に降りてきて、半月状になっている入り口から排気している。窯の外側の上にも排気の煙突がついていて、そこに熱が回るように手前から冷たい空気が入っていく。左右の横で、ものすごい熱くなって上に回って前に出てきてと、上から対流してくる形状につくられているのですね。だから、底からの火はないんです。ちょっとびっくりでしょう。同じレベルに火があるだけだから理論的には下は焼けないんです。これは変なことないですか。




